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■メトロバスで空港からメキシコシティ市内に移動 |
コロナビールの看板を見て、あーメキシコに来たんだなと 早朝の空港ですが意外ににぎやか レートはあまりわくるなさそうだったので、空港で。用意してきたUSドルからメキシコペソにかえました。 空港のはじっこに来まして こちらのメトロバスで市内に向かうことに、地下鉄もあるんですが結構面倒らしいんですよね。 事前にこちらでカードを買っておく必要があります、なおこちらで買ったカードはメトロバスに加えて地下鉄でも使えるようになっているので利便性がかなり高まったいます。 バスは新しく快適 防犯対策がとられています・・・・ ちょっとびびっていました。 中心部に来て一回おりましたが、カバンは前に、カメラは中に入れろとアドバイスされました。そこからさらにバスに乗りタクシーで何とかホテルに到着。 ほっとしたは・・・・ |
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■メキシコシティ市内で最初に目にしたもの・・それはデモ |
ホテルからさっそく歩いて大通り(レフォルマ大通り)に出ようとすると まあホテルに行く際に最後タクシーを使ったんですが、デモ隊のおかげで迂回させられていたし部屋からもシュプレキコールが聞こえていたので想定したんですが。 一応バスがデモ隊を仕切っているんですが。 途中から仕切りもなくなり思いっきり行き違うことに。 ここらへんはパレードみたいだね、デモというより。 このデモがなんなのかわからないんですが、自分が旅行に行った9月下旬のちょうど前まで教職員組合がデモおよび占拠をしてたらしくそれの絡みなのか・・・ まあデモ自体で自分は特に影響はなかったんですが、後であーあーの事態に出くわします。 |
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■メキシコシティ チャプルテペック公園 |
デモ隊をぬってやってきたのが、こちらチャプルテペック公園。東京の皇居みたいな位置づけなのか・・・ 市民の憩いの場みたいな感じ えらい出店が多いんですが、メキシコといえばルチャリブレ(プロレス)そのマスクが売られてました〜 そしてドリトスも こちらの列に並びましょうか・・・ |
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■メキシコシティ チャプル・テペック城 |
チャプルテペック公園にはお城や博物館、美術館など観光ポイントが目白押し、そんな中でまず目指すのは写真上方部に入っているお城 チャプル・テペック城 でこの行列は何かというと日曜日はメキシコ人は無料で入れるので一気に押し寄せているのです。 結構疲れましたw ところで写真を撮って歩いていたら、現地学生軍団がやってきて質問攻めにあいました。なぜメキシコに来たか?、メキシコの食べ物はどう思う?、メキシコに住みたいか? youは何しにメキシコに来た?の状態でした。w メキシコ革命をイメージした絵画でしょうか・・・ 当時の革命が迫力をもって描かれていますね。 城から見たメキシコシティの風景、よく考えたら標高2200メートルの高地にこんな都市があるんですよね。 城の中ではこんなショーもやっていました。 |
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■メキシコシティ 国立人類学博物館 その1 |
次なる国立人類学博物館に向かう途中ルチャリブレの写真展示がされていました。 女性でもこんな技決めるんですね。。すご やってきました国立人類学博物館、古代からアステカ国家やマヤ文明に関する一級品の展示物がそろっているメキシコシティ屈指の博物館です。こちらも日曜日メキシコ人無料で激混み。 すべて見ていると大変なことになりそうなんで、絞ってまわることに。 |
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■メキシコシティ 国立人類学博物館 その2 |
メキシコシティ 国立人類学博物館見学続き、いよいよティオティワカンコーナーに突入。でこちらは太陽の円盤。アステカ文明は太陽と切り離すことができません。 テオティワカン自体は後日行きますが、土器やレプリカが展示されています。 壁画 最後にこちらの台をご紹介しましょう、こちらのものを置く場所に当時何が置かれていたか?それは人間の心臓です。 アステカ文明において人は人間の血を太陽にささげることで太陽の消滅を避けることができると考えていたのです。その結果が人身御供だったのです。 wikipediaにはつぎのようにあります。 アステカ社会を語る上で特筆すべきことは人身御供の神事である。人身御供は世界各地で普遍的に存在した儀式であるが、アステカのそれは他と比べて特異であった。メソアメリカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の新鮮な心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。また人々は神々に雨乞いや豊穣を祈願する際にも、人身御供の神事を行った。アステカは多くの生贄を必要としたので、生贄を確保するために戦争することもあった。 ウィツィロポチトリに捧げられた生贄は、祭壇に据えられた石のテーブルの上に仰向けにされ、神官達が四肢を抑えて黒曜石のナイフで生きたまま胸部を切り裂き、手づかみで動いている心臓を摘出した。シペ・トテックに捧げられた生贄は、神官達が生きたまま生贄から生皮を剥ぎ取り、数週間纏って踊り狂った。人身御供の神事は目的に応じて様々な形態があり、生贄を火中に放り込む事もあった。 現代人から見れば残酷極まりない儀式であったが、生贄にされることは本人にとって名誉なことでもあった。通常、戦争捕虜や買い取られた奴隷の中から、見た目が高潔で健康な者が生贄に選ばれ、人身御供の神事の日まで丁重に扱われた。神事によっては貴人や若者さらには幼い小児が生贄にされることもあった。 次回は、あの2012年12月22日に人類が滅亡すると一部の人たちが大騒ぎをするきっかけを作ったアステカ・カレンダーをご紹介します! メキシコシティ観光レポート 続きます。Part5 |
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