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とりあえず朝食を食べる。
カステラみたいなお菓子が案外いけた。
トレドにいく電車の時間がそれほどなく、飲み込むようにして朝食を食べて宿を飛び出ました。
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あいかわらず鉄道にこだわり続ける俺
マドリッドからトレドまでAVEで30分くらいで着いてしまいます。 |
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トレドは、ヨーロッパによくある川と城壁に囲まれた街です。
しかし、この街の歴史の特徴としては、キリスト教とイスラム教の影響がサンドイッチのように反映されているところからも分かるようにスペインの歴史を象徴しています。
16世紀で時が止まった街とも言われているらしいですが、マドリッド観光とセットになることが多い観光名所です。
ちなみに私は今回がはじめてでした。
アルカンタラ橋を渡るといよいよトレドの中心地に接近 |
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この街ものん〜びりした雰囲気を出しています!
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路地が多く迷路の中にいるような錯覚に陥ります。 |
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トレドでは、なんか適当に中華料理を食べてしまいました。でもこんなユーラシア大陸の南部の田舎にもしっかり華僑ネットワークがあるんだから驚いてしまいます。
で味付けはこれが日本で食べる中華料理みたいな感じでちょうどいいんですよね。
本場中国の味付けは結構きついなと思うことが多いんですが、外国人向けくらいがちょうどいい感じがしました。 |
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城壁の外を見ると本当にスペインの田舎が広がっています。 |
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街が小さいだけに迷っても平気です。僕自身もこういうときは思いっきりB型のいい加減さがでてきます。 |
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見事に逆行になってしまった・・・・・ |
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マドリッドのアーチャート駅でどうしても撮りたかったのが、AVE。
しかしここ最近のマドリッドに頻発している爆弾テロなどの影響でホーム上の警戒が厳しく、すぐに追い出されました。(泣)
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前回2000年のマドリッド訪問でもすごく印象に残ったのが、ソフィア王妃芸術センターにあるピカソの「ゲルニカ」です。
そのゲルニカを拝むことができるのが、ソフィア王妃芸術センターになります。
前回はあーすごいで終わっていたんですが、今回はもう少しのそのゲルニカの歴史について自分なりに調べてみました。
スペイン内戦の中で、1937年4月26日、スペインのバスク国の小都市ゲルニカが、フランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けました。
滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として、急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、7月4日には完成それ以降欧米の各地を転々と展示されてきました。
そしてその後はニューヨーク近代美術館でかなりの時間を過ごすことになるんですが、ピカソが亡くなる前に「ゲルニカ」がスペインに民主化政府が出来上がったときに戻って欲しいという意志をもっていたことで1981年にプラド美術館にようやく戻り、1992年にソフィア王妃芸術センターに戻ったとのことです。
ゲルニカがつくられた時代はすでに写真技術などによって戦争などの悲惨さは記録されるようになっていました。
しかしピカソが作り上げた「ゲルニカ」は、「絵画」が人の心に訴える強力な力を改めて再認識させてくれます。 |
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ゲルニカとピカソ関連のお土産を買ってしまった。(笑)
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適当に入ったお店でチュロスを食べる。
チョコレートをつけたりして食べることが多いんですが、それだと甘すぎてきついので砂糖をまぶしてもらう程度に抑えてもらいました。
それでちょうどよかった。(笑)
帰国日に続く |