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バンコク・アンコールワット・アユタヤ 旅行記

カンボジアとタイの国境の橋、旗が切り替わっているのが分かります。


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■さらば、カンボジア〜バンコクへの帰還
気がつけばタイに戻る日になっていました。



宿のスタッフもいい人が多かったしガイドやトゥクトゥクの運ちゃんとも話していて楽しかったし、結構センチな気分になっていました。



さて帰り道も行きと同じ試練を味わうことになります。
しかし、人間慣れは恐ろしいもので行きの地獄を味わい、滞在中トゥクトゥクに乗りまくっていたことでガタガタ揺れることに対する感覚が明らかに鈍っていることが分かります。



お昼ぐらいにはタイとカンボジアの国境であるポイペトに到着。
行きは「不安」が胸の中に一杯でしたが、帰りは「思い出」が胸の中に一杯になっていました。



国境を超えて、近くのハンバーグ屋に入ると国王様ご一族のお写真が。
タイに戻ってきたことを感じさせました。



さあバンコクまではもうひと分張りということで、国道をひたすら飛ばしていきますが、道が整備されているので快適、快適。 本当国境をまたいだだけでここまで変わるのかとえらく感動してしまいました。

夕方4時ごろにバンコクのカオサン通りに到着。 ほっとしました。




■補足 不安に揺れる国境の町 領土紛争かげ落とす カンボジア・タイ

タイとカンボジアがヒンズー遺跡プレアビヒア寺院周辺の国境紛争地で交戦したことを受け、両国の国境にある町が不安に揺れている。タイ東部の町アランヤプラテートでは、カンボジアのカジノを訪れる客が激減していた。いつもは大勢の観光客でにぎわうマーケットも人影はまばらで、住民の間には困惑が広がっていた。(ポイペト 菅沢崇、写真も)

 カンボジア北西部の町ポイペトと国境を隔て、数千の小さな商店が軒を連ねるアランヤプラテート。「交戦が発生すれば、国境を越えて逃げ帰らなければならない。皆、ニュースには敏感になっている」とガイド業を営むカンボジア人のポン・チャンビブットさん(25)は話す。

 チャンビブットさん自身、15日に発生した交戦をニュースで知り、カンボジアのバタンバンの町まで100キロ以上もタクシーに乗り避難した。マーケットで雑貨商を営むカンボジア人のメイン・テンさん(28)も「戦闘情報が報じられたら、すぐに電話してもらうように友人に頼んでいる」といい、いつでも逃げ出せるように準備を整えていると打ち明けた。

 カンボジア中西部シエムレアプでは、アンコールワット遺跡群の訪問を取りやめるタイ人観光客も少なくないという。

カジノで知られるポイペトは、週末ともなればタイのバンコクなどからギャンブル客がこぞって押し寄せてきたが、「交戦後、一時は客足が普段の15〜20%程度まで落ち込んだ。回復し始めてはいるものの、まだ完全とはいえない」とあるカジノ従業員はぼやく。

 タイの出入国管理事務所によると、カンボジア側に入国するタイ人は1日平均8000人程度だが、16日にはわずかに780人にまで減った。

 国境の町は、常に両国の緊張度を示す一種のバロメーターにもなっている。2003年1月、カンボジアの首都プノンペンで、タイ資本の企業やホテルが焼き打ちにあう事件が発生したときは、ポイペトからタイ人の姿がいっせいに消え、「2カ月ほど仕事にならなかった」とチャンビブットさんは言う。

 プレアビヒア寺院周辺には、依然として両国の兵士数百人が対(たい)峙(じ)している。紛争の長期化も指摘されるなかで、国境の町は不安にさいなまれる毎日が続いていた。

 2008年10月26日 産経新聞より

■変貌を遂げるカオサン通り
安宿から格安ツアー、格安航空券が集うだけあって欧米人のたまりと化しています。



↑欧米人は昼間から酒飲んでいる奴も多いし、せこせこ動き回るアジア系とは時間軸の違いを感じます。



↑日本人の経営している旅行代理店もあります。
(実は僕はそこでアンコールワットツアーを申し込んだんですが)

そんなカオサンも最近はしゃれた街としてしゃれたバーなんかも出来てきたようです。

ただ唯一残念なのはカオサンにはまだMTRやBTSといった交通機関が乗り入れていないためにバスやトゥクトゥク、タクシーなどを使った移動が必要になる点です。 それでも宿泊費を考えると、有り余るメリットがあるといえますが。



↑一回だけ泊まったカオサンのとあるホテルのシングル 280バーツ 1000円くらい。

9日目に続く




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