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![]() ベンメリア遺跡・トレンサップ湖観光 |
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■ベンメリア遺跡 |
さてこの日も遺跡を午前中に見にいきます。 まず向かったのがシェムリアップから約80キロ先にある、ベンメリア。 昔は道路が整備されてなかったり、地雷があったりと脅し文句のフルコースがガイドブックに並んでいましたが、かなりそこらへんは整備されて楽になっています。 ちなみに天空の城 ラピュタのイメージの元になったのがこの遺跡だとか。 ![]() トゥクトゥクで向かいます。 相変わらず埃がひでー 2時間以上かけてなんとか到着。 入場料5ドルを払います。 ![]() 入場券 遺跡はご覧のように崩れており、道なき道を歩くことになります。 時には塀の上を歩くようなことにもなりますし、結構怖い(実際に日本人女性が転落して大怪我をしたとの話を聞いてビビりました。) ガイドがいないと観光するのはかなり困難な印象を感じました。 その意味では、非常に冒険をしていような気分になれるのも事実です。 ただ舗装工事も地味ではありますが、続けておりちょっとづつは改善されてきているかと思います。 あとこの地域はかなり地雷が埋まっていたようですが、その除去についてはかなり改善が進んできているとのことでした。 宿の近くにあった美容室さん |
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■トレンサップ湖でみた夕日 |
午後は特に何も行程が決まっていなかったので、何かいきたいところがあればアレンジするとの話を受けました。 そこで日本ではありえあいくらい大きいトレンサップ湖に向かうことにしました。 で行く途中に起きたのがトゥクトゥクのエンスト発生。 大渋滞だったのでかなり顰蹙モノでした(笑)、なんとか道の端によせてからみんなで必死に押したらエンジンがかかり事なきを終えました。 エンストで後ろから押すのは中国についで2回目になります。 ボートを貸切の形にして2人で40ドル払いました。 ご覧のような夕日を見ることが出来ます。 なおトレンサップ湖にて トレンサップ湖には水上で暮らし方々がいますが、この湖は乾季と雨季で水かさがまったく変わる湖で有名です。 そのため水上で暮らす方々もそれにあわせて暮らす場所を転々と変えていくそうです。 |
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■カンボジアの子供たちの笑顔 |
シェムリアップで3人の日本人といろいろ話したんですが、その中で全員一致したのが「子供たちの笑顔が本当にいいよね」という点です。 ![]() 確かに気がつけば、旅先でも人の写真をろくに撮らない僕がカンボジアの子供達の生き生きとした姿に魅かれて写真を必死にとっていました。 ![]() JICAのカンボジアの現状をまとめた資料をみても分かりますが、平均月収3300円がカンボジアの現状です。教育、水道、衛生すべてをとっても最貧国なんです。 こちらをご覧ください。 ![]() それでも子供達の笑顔に先進国に生きる自分達がなくしてしまったものがあるんじゃないかと、カンボジア旅行を終わった今でも考えてしまいます。 |
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■カンボジアと地雷 |
僕自身は地雷がいまだに埋まっている地域を今回目にすることはありませんでした。 しかし、郊外の遺跡にいけばこんな看板が ドイツが地雷撤去作業をおこなったことを証明する看板。 アンコールトムの内部には地雷で片足を失った方が民族楽器を演奏する姿を何人も見ました。 徐々に地雷撤去が進んできた今でも年間に800人近い方が地雷の被害にあわれているようです。 そんな現状を目の当たりにして、立ち上がった日本人がいたことをインターネットで最近知ったので紹介させてください。 山梨日立建機の雨宮代表取締役社長。 彼はカンボジアを訪問した際にショックを受け、持ち前の技術者魂で数々の困難を乗り越えて地雷除去機械を開発。 実際に僕も日立建機のシャベルカーは実際に向こうでインフラ工事で活躍するのを目にしました。 子供達が集まってその様子を見ているのが、のほほんとしてよかった。w どっかの元総理大臣が美しい日本とか抽象的なことを言っても誰もついてきませんでしたが、雨宮さんみたいな人を知ると日本人として誇りがもてるなと思います。 ざっとカンボジアについてここまで書いてみました。本当はまだまだ書きたいことがありすぎるくらいなんですが、それは別の機会に取っておこうと思います。 8日目に続く |
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■言うは易し、行なうは難き 藤原さんがカンボジアに学校を作ったとのこと |
カンボジアに「紀香学校」できた!! カンボジアに学校を建てる活動をしている女優・藤原紀香(36)の第1号小学校「メーサン小学校」が3月25日に落成し、7日、藤原が東京・赤坂で報告会見を行った。3月24日から2泊3日で落成式のため同地を訪れた藤原は、式典に参加したほか孤児院やゴミ山で暮らす子供たちのもとを訪れたといい「少しでも現実を皆さんに伝えたい」と熱く訴えていた。 ◇ ◇ 紀香の4年越しの夢が実現した。きっかけは2004年にプライベートで現地を訪れたこと。子供たちの生活ぶりを見聞きし「学校を建てたい」と決意。2006年に「藤原紀香 カンボジア子供教育基金」を設立し、写真展の活動や著書の印税計600万円を建設費に充てた。 カンボジアの首都・プノンペンから車で3、4時間かかるプレイヴェン県にある町。廃校寸前のメーサン小学校を建て直し、コンクリート校舎は「紀香学校」と名付けられた。さらに井戸やトイレも建設、ノートを配り、楽器を購入するなど子供たちが勉強する環境をすべて整えた。 日本語で「ふるさと」を歌うなど子供たちの熱烈な歓迎を受けた紀香は「人間って、勉強する場所と愛情ですごく変わるんだって思ったの!『明日から学校に行けるんだ』って言う子供たちの声を忘れない。『ふるさと』を歌ってくれた顔を忘れない」と大感激すると、「子供たちには夢をかなえてほしい。夢に近づいてほしいですね」と瞳を潤ませた。 落成式以外にも、孤児院なども訪れ劣悪な環境の下でもたくましく生きる子供たちに接した紀香は「本を送りたい」「孤児院を建てたい」「この旅の写真展をやりたい」などと新しい夢も芽生えたよう。 「私だけで建てたんじゃない。写真展を見にきてくれたみなさんと『紀香魂』を買ってくれた印税。みんなで建てたんだよって伝えたい。チャリティーに参加すると、子供たちが学校に行けるようになったりするんだよって伝えたい」とファンにも感謝を伝えていた。 |
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