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寝台特急さくら・あさかぜ廃止決定


■ブルートレイン さくら・あさかぜ最後の日



長崎で、博多で、下関で、岡山で、大阪で、京都で、名古屋で、横浜で、そして東京で本当にたくさんのファンが集まりましたね。
やっぱりブルートレインというのは人をひきつける何かがあるなと思いました。

そういえばちょうど一年前のダイヤ改正の直前に「思い出のはやぶさ、懐かしの富士」という団体列車が走ったことがありました。
たまたま懐かしの富士を品川駅で待っている際に、その脇を寂しげに「さくら・はやぶさ」が通り過ぎていきましたが、それをばかにしていたファンがいました。
まさか伝統ある名門特急ならガラガラでもはいしにならないさといった気持ちがあったのかもしれないですが・・・・・

実際に廃止と聞いたあとは、その人はどんな心境になったんでしょうか〜



僕も本当にこの2年間東京駅10番線ホームには何度も、何度も(20回は行ったか?)ブルートレインを見に行きましたが、本当に昨日のような最後を見ていると、普段からもうちょびっとだけでもお客さんが多ければ、あさかぜ・さくらはなくならなかったのかなとも思います。

これからは横須賀線や東海道線で田町の車両基地を見ても、当たり前のように止まっていたブルートレインも大きく車両を減らした形になるかと思うと寂しさがありますが、今回のダイヤ改正で残った富士・はやぶさもいつまで続くか分かりません。今後こそ後悔がないように一度でものってみたいと思います。




■さくら・あさかぜ関連記事

最終列車はあっという間に完売したようですね。以下はasahi.com 1月27日の記事からです。

「あさかぜ」最終列車、1分半で完売 ツアーも人気
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 2月28日に半世紀近い歴史に幕を閉じる東京―下関間のブルートレイン「あさかぜ」の最終列車の寝台券が28日午前、全国のみどりの窓口などで一斉に売り出され、下りは約30秒、上りは約1分30秒で売り切れた。同時に廃止される「さくら」も約1分で上り下りともに売り切れとなった。「あさかぜ」の寝台券は上下で計722席。あるJR社員は「いつもこのぐらい人気があったら、廃止されなかっただろうに」と残念そうに話した。

 平均30%程度と低迷していた「あさかぜ」の乗車率は、廃止決定の発表があった昨年末から徐々に上昇。2月は旅行会社が相次いで「さよなら」ツアーを企画しているため、乗車率はさらに上がると見られる。 (01/28 15:41)


さらば寝台特急「あさかぜ」 最後の“乗車”
25年間車掌務めた元職員、28日に


 自分の人生そのものだった列車に別れを告げたい−。三月のダイヤ改正で姿を消す寝台特急「あさかぜ」の車掌を開業から二十五年間務めた元国鉄職員、加島浅二郎さん(79)=山口県下関市=が二十八日夕、下関から東京に向け出発する最後のあさかぜに乗る。

 島根県生まれの加島さんは十四歳で国鉄に就職。昭和十九年、下関車掌区に配属された。

 三十一年十一月十九日、あさかぜが日本初の寝台特急として東京−博多間を運行した日、博多発の上り一番列車の車掌を任された。手違いから切符が余分に売り出され、約三十人分の席が不足。京都駅で客車を足してしのいだが、冷や汗もののスタートだった。

 冷暖房完備、個室寝台付きの「元祖ブルートレイン」。当時、新幹線はなく、岸信介元首相や美空ひばり、力道山ら有名人も乗せて走った。

 激務だった。「四日かけて一往復し、乗務中の睡眠はなし。勤務のたびに二キロはやせた」。昇進し管理職に就く道もあったが「天職と思った」あさかぜの車掌に五十五歳の定年までこだわった。

 廃止はショックだった。新幹線や航空機の普及。時代の流れとはいえ「まさかなくなるとは…。断腸の思いです」。

 最後の列車には、妻のテルコさん(74)と乗り込む。長年連れ添いながら、二人で乗るのは初めて。同乗する元同僚らも交え、夜更けまで語り合うつもりだ。

 静岡県の富士川鉄橋から望む富士山の景色が一番気に入っている。

 「朝、車窓から女房と眺めるのが楽しみです」
産経新聞より


ブルートレイン:
「あさかぜ」「さくら」来春引退

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来年春のダイヤ改正で姿を消す国内初の寝台特急「あさかぜ」はブルートレインの元祖として親しまれてきた

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「あさかぜ」と共に廃止される「さくら」は45年間、東京−長崎間を走り続けた

 戦後の復興期から高度経済成長期に一世を風靡(ふうび)した日本で初めての寝台特急「あさかぜ」と2番目に古い「さくら」が来年3月のダイヤ改正で姿を消す。共同運行しているJR旅客4社(東日本、東海、西日本、九州)が「廃止」で合意した。東海道沿線の主要都市から山陽・九州方面に旅情を運び続けた名物列車は乗客減と急速に進む高速化のはざまで半世紀近い歴史にピリオドを打つ。 

JR各社によると、東海道・山陽新幹線のスピードアップや航空各社の国内線増便で、寝台特急の利用者は激減。国土交通省の調査で、首都圏から九州方面は90%が航空機利用で、03年度の寝台特急利用者は87年のJR発足当初と比べて4分の1以下に落ち込んだ。 JRはグループ挙げて寝台特急による企画旅行やPR作戦を展開し、テコ入れしてきたが低落傾向に歯止めがかからず、整理統合が検討されてきた。今回の統廃合で、東京圏から九州方面は2本、山陽・山陰が3本、関西圏から九州方面は3本となる。

 「あさかぜ」は国鉄時代の1958年10月の運転開始以来46年間、東京−下関間をひた走った。寝台特急の代名詞となった「ブルートレイン」は「あさかぜ」の「青い車体の列車」から採られたもので、寝台特急の元祖。個室シャワーやラウンジを備え、食堂車を併結していた時期もあり、「走るホテル」として人気を集めた。 

 国の花をヘッドマークにした「さくら」は59年7月に東京−長崎間でデビュー。乗客減を理由に99年12月から、3番目に古い「はやぶさ」(東京−熊本間)と連結して運行された。その「はやぶさ」も来年春からは「富士」(東京−大分間)と連結される。



 来年3月のダイヤ改正で、JR4社が運行する東京・関西圏から山陽・山陰、九州方面への寝台特急は次の8本になる。

 東京−九州方面=はやぶさ(熊本行き)▽富士(大分行き) 

 東京−山陽・山陰方面=サンライズゆめ(広島行き)▽サンライズ出雲(出雲市行き)▽出雲(同) 

 関西−九州方面=彗星(京都−南宮崎)▽あかつき(京都−長崎)▽なは(新大阪−熊本)

毎日新聞 2004年11月27日 15時00分



元祖ブルトレ「あさかぜ」、2月末で引退 「さくら」も

来春のダイヤ改定で廃止されることになったブルートレインの元祖「あさかぜ」=東京駅で
来春のダイヤ改定で廃止されることになったブルートレインの元祖「あさかぜ」=東京駅で

 JR東日本、東海、西日本の各社は、ブルートレインのさきがけになった寝台特急「あさかぜ」(東京―下関)を来年3月1日のダイヤ改定で廃止する方針を決めた。「あさかぜ」は日本で初めて全室冷暖房完備の個室寝台を連結するなど、かつては「走るホテル」と呼ばれたが、新幹線や飛行機に押され乗客は減少。ここ数年の平均乗車率は約30%と低迷していた。東京と長崎を結ぶ「さくら」も廃止される方針で、東京駅発のブルートレインは風前のともしびになる。 

 JR東日本によると、「あさかぜ」の昨年度の平均乗車率は29%。夏休みのピーク時も33%にとどまり、東京発のブルートレインでは最も乗車率が悪い。JR発足時から乗客は減り続けており、「のぞみ」が登場した92年以降、乗客減に拍車がかかったうえ、最近は格安な高速バスに押され、乗客は対前年度比で約20%も落ち込んでいる。 

 また、上り列車が首都圏に乗り入れるのが朝のラッシュ時に重なり、遅れたまま首都圏に来ると通勤電車の過密ダイヤに影響することもあり、廃止が検討されていた。 「あさかぜ」は56年に東京と九州を結ぶ戦後初の特急として東京―博多間に登場。57年から58年にかけて発表された松本清張の代表作「点と線」では、物語の重要な役回りを果たした。 

 58年に新型の客車が導入され、冷暖房完備の個室寝台が登場。食堂車も備え、「走るホテル」と呼ばれた。丸みをおびた青色の車体にクリーム色の線が入った斬新な客車は「ブルートレイン」と親しまれ、その後の寝台特急の代名詞になった。 

 東京と九州、山陽地方を結ぶ寝台特急は現在4列車あるが、平均乗車率は軒並み30〜40%程度。来春のダイヤ改定で、JR九州を含む各社は東京発長崎行き寝台特急「さくら」も廃止し、残る「富士」(東京―大分)と「はやぶさ」(東京―熊本)も途中の門司駅まで連結させて走らせる方針。東京発九州行きのブルートレインは2列車のみになる。 (asahi.com  11/28 11:02)


消え行くブルトレ あさかぜ廃止 格安競争で後れ

 紺色の車体で「ブルートレイン」と親しまれた寝台特急がまた消える。40年以上走り続けた元祖ブルトレ「あさかぜ」(東京−下関)の運行廃止が決まった。松本清張さんや西村京太郎さんの小説の舞台にも登場したが、新幹線や飛行機に押され、乗客が激減した。
 30年前には38往復が日本列島を駆け抜けた寝台特急は、3月から人気の豪華寝台を除くと10往復に減る。

 今春のJRダイヤ改正では、東海道新幹線「のぞみ」が現行1時間当たり7本から8本の運行に増発される一方で、ブルトレの「あさかぜ」と「さくら」(東京−長崎)が廃止になり、一時代の終わりを象徴する内容となった。
 あさかぜは昭和31年、初の「寝台特急」として運転開始。日本で初めて冷暖房を完備した個室寝台車を連結し、「走るホテル」と呼ばれた。
 
しかし45年ごろをピークに、乗客は減り続けた。スピードアップ化のほか、シャワーやラウンジを設置する新サービスを導入したが、平成15年度の平均乗車率は29%にまで落ち込んだ。
 格安競争にも後れを取り、あさかぜで東京−下関を乗ると、最も安いB寝台でも総額2万2260円。夜行の高速バスだと約1万4000円だ。

 一方、豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪−札幌)、「カシオペア」(上野−札幌)の人気は高い。「4万円超の個室スイートから予約が埋まり、乗客は食堂車の1万2000−7800円のコースディナーに舌鼓をうつ」(JR広報)。
 JR西日本の輸送計画担当、北井秀志さんは「夜行に乗って、朝、仕事に行くビジネス特急あさかぜの使命は今、新幹線や飛行機で十分まかなえる」と説明する。

 ほかにも理由はある。JR東日本は、都心一等地に位置する品川車両基地の約20ヘクタールの新開発をもくろんでいるが、「基地を車庫とするブルトレが邪魔になる」(JR関係者)という。
 ブルトレ運転歴25年のJR東日本の運転士、田代悦信さん(55)は「当時花形のブルトレにあこがれ、運転士になった。乗り心地がより重視されるので、一人前の運転士になるには5年かかった。あさかぜの廃止は寂しいが、『時代の流れ』で仕方ない」と残念そうだった。(2005/1/18産経新聞より)

■あさかぜ・さくら 写真ギャラリー

■1月ある日の上り「富士」、「さくら・はやぶさ」を東京口で見てきました。

残すところ1ヶ月弱となりました今の九州ブルートレインのヘッドマークを拝みに休日に頑張って起きて東京駅に行ってきました。
やはり鉄道ファンの数もこれまで以上に増えてきた感じですね。実は富士も今回のダイヤ改正ではやぶさとの連結になるので、今のヘッドマークもサヨナラになってしまいます。(ちなみに富士を見てからさくら・はやぶさの到着までの間は大丸で買い物をしていました。)

←さくら編成に掲げられていたもの。

ファンサービスか?


■関連ページ

東海道線 東京駅口で見られるブルートレイン

富士・はやぶさ乗車記 東京〜博多

急行銀河東京→大阪乗車記

思い出の富士・はやぶさ

J
R寝台特急 さよなら富士・はやぶさ 廃止最終運転レポート




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