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東海道ブルートレイン全滅へのカウントダウン
富士・はやぶさが2009年のダイヤ改正で廃止



■はじめに



とうとうこのときが来てしまったか?という感じなんですが朝日新聞2007年11月18日付けの記事によると

2008年の3月のダイヤ改正で銀河・なは・あかつきの廃止が決定、さらには2009年度中に富士・はやぶさの廃止が東日本・東海・西日本・九州の課長レベルでは合意済みという衝撃的な内容でした。

思えばブルートレイン好きが生じてページを作り始めたのが2003年ぐらいからだったと思いますが、そこからのブルートレインの歴史は廃止の歴史でもありました。

そんなブルートレインのここまでの流れをまとめてみようと思い、このページを作りました。



さくら・あさかぜが廃止になる直前に報道機関に機関車の撮影会を田町でやっていました。2005年




■2005年3月 さくら・あさかぜ廃止

ボロボロの状況ながらある種「聖域」となっていたブルートレイン運行。
そのブルートレイン運行に対して抜本的にメスが入ったのが2005年2月のさくら・あさかぜ廃止です。
最初のネット記事を見たときの衝撃はかなりのものでした。



あさかぜ

あさかぜといえばブルートレインの代名詞でもあり、松本清張の「点と線」の4分間のトリックにもなった特急の大御所といえる存在でした。





さくら・はやぶさ編成

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ブルートレイン:「あさかぜ」「さくら」来春引退

戦後の復興から高度経済成長期に一世を風靡(ふうび)した日本で初めての寝台特急「あさかぜ」と2番目に古い「さくら」が来年3月のダイヤ改正で姿を消す。共同運行しているJR旅客4社(東日本、東海、西日本、九州)が「廃止」で合意した。東海道沿線の主要都市から山陽・九州方面に旅情を運び続けた名物列車は乗客減と急速に進む高速化のはざまで半世紀近い歴史にピリオドを打つ。

 JR各社によると、東海道・山陽新幹線のスピードアップや航空各社の国内線増便で、寝台特急の利用者は激減。国土交通省の調査で、首都圏から九州方面は90%が航空機利用で、03年度の寝台特急利用者は87年のJR発足当初と比べて4分の1以下に落ち込んだ。

 JRはグループ挙げて寝台特急による企画旅行やPR作戦を展開し、テコ入れしてきたが低落傾向に歯止めがかからず、整理統合が検討されてきた。今回の統廃合で、東京圏から九州方面は2本、山陽・山陰が3本、関西圏から九州方面は3本となる。

 「あさかぜ」は国鉄時代の1958年10月の運転開始以来46年間、東京−下関間をひた走った。寝台特急の代名詞となった「ブルートレイン」は「あさかぜ」の「青い車体の列車」から採られたもので、寝台特急の元祖。個室シャワーやラウンジを備え、食堂車を併結していた時期もあり、「走るホテル」として人気を集めた。

 国の花をヘッドマークにした「さくら」は59年7月に東京−長崎間でデビュー。乗客減を理由に99年12月から、3番目に古い「はやぶさ」(東京−熊本間)と連結して運行された。その「はやぶさ」も来年春からは「富士」(東京−大分間)と連結される。

2004年11月27日 毎日新聞の記事より
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廃止前日の東京駅の大混雑

■2006年3月出雲廃止



さくら、あさかぜが廃止されて、半年経ったころに今度は「出雲」の廃止が発表されました。これによって寝台特急として単独運行する東海道ブルートレインが全滅することになりました。寝台急行として「銀河」は残っていましたが・・・・

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特急「出雲」廃止を検討 JR、年内にも結論

 東京と山陰を結ぶ寝台特急「出雲」について、JRが廃止を含めた運行の見直しを検討していることが、二十八日の鳥取県議会企画土木常任委員会で明らかになった。JRは十二月中にも運行を打ち切るかどうか結論を出す方針。県は観光面への影響などを懸念し、鳥取、島根両県と連携して存続を訴えていく構えだ。

 JRの長距離夜行列車は年々、利用者が減少。今年三月には「さくら」(東京−長崎)と「あさかぜ」(東京−下関)が、十月には「彗星」(京都−南宮崎)が相次いで廃止されており、出雲も利用者はピーク時の三分の一以下に落ち込んでいる。

 JR西日本広報室によると、運行の見直しは▽非常に悪い採算性▽車両の老朽化▽ライフスタイルの変化によるレジャー型利用へのシフト−などが主な理由。共同運行するJR東日本、JR東海とともに三社で存廃を含めて検討を進め、結果については十二月中に公表する方針だ。

 この動きに対し県では、今月下旬に入って鳥取・島根の両県と合同でJR三社を訪れ、出雲の永続的運行を求める要望書を提出した。特に、余部鉄橋)の架け替えや鳥取・島根両県内の高速化など、多大な地元負担を前提に路線整備を進めている点を強調したという。

 県交通政策担当課長は「多大な地元負担をして余部鉄橋を架け替え、利便性を図ろうという中で、採算が悪いというだけで(出雲を)廃止するような、逆行する動きはどうか」と指摘。現在、但馬地方と東京を直結する路線はバス・飛行機を含めて出雲しかなく「地域の重要な足として今後も存続を訴えていく」としている。

 出雲は一九四七年六月、大阪−大社間の準急として運行開始。六一年十月に東京発着となって以降は、山陰方面へのブルートレインとして定着している。朝の余部鉄橋を通過する勇姿は現在でも多くの鉄道ファンをひきつけ、撮影ポイントとしてアマチュア写真家らに親しまれている。

日本海新聞より
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■2008年3月 銀河・なは・あかつきの廃止

まずは朝日新聞の記事から

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消えゆく東京駅発ブルトレ 「銀河」来春に引退

 「ブルトレ(ブルートレイン)」の愛称で親しまれてきたJRの寝台列車が、09年春にも、東京から西へ向かう路線から姿を消す可能性が高まっている。利用客の減少が主な原因で、ほかの路線も同様の事情を抱えている。
一部の豪華列車を除き、将来的には廃止の方向にあるという。

 JR各社の複数の関係者によると、08年3月中旬のダイヤ改定で消えるブルトレは、京都―熊本間を走る「なは」と京都―長崎を結ぶ「あかつき」、東京―大阪の「銀河」。また、大阪―青森の「日本海」と上野―札幌の「北斗星」は、現行の1日2往復から、1往復に減る。このダイヤ改定は今年11月中旬に正式決定し、12月中旬に発表される予定だ。

 さらに、09年春のダイヤ改定では、東京―大分の「富士」と東京―熊本の「はやぶさ」の廃止が、JR各社の担当課長レベルで合意済み。これが正式に決まれば、大阪以西を走るブルトレは皆無になり、東京駅でブルトレは見られなくなる。ブルトレ発祥の地である九州などでは、地元の反発も予想されるという。

 新幹線や飛行機、夜行バスに押され、「利用率が低い」のが廃止の最大の理由で、「車両が老朽化している」「夜間の要員確保が難しい」などの事情もある。

 JR東日本の調べでは、JRが発足した87年のブルトレ利用者数と比較すると、東京から西へ向かう路線全体の利用者は05年には21%にまで落ち込んでいる。

 例えば、「はやぶさ」は東京駅を午後6時過ぎに出発、熊本駅に着くのは約18時間後の翌日正午前。飛行機なら2時間もかからない。

 ブルトレの一般的な定義は、14系や24系と呼ばれる青い塗装の寝台車を機関車が引っ張る特急列車(銀河は急行)。現在、東京と九州、北海道、大阪と東北などを結ぶ9路線がある。
このほか、電車タイプの寝台特急である「サンライズ出雲・瀬戸」(東京―出雲市・高松)や、比較的新しい車両の豪華寝台特急である「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)や「カシオペア」(上野―札幌)がある。

 ブルトレの歴史は、56年に営業を始めた東京―博多の「あさかぜ」に始まる。あさかぜは58年から冷暖房完備の新型車両に編成を変えて以来、「走るホテル」と呼ばれて親しまれたが、乗車率が2割台に落ち込み、05年春に廃止された。

 JR各社は、関係部署の担当者による通称「ブルトレ会議」で、ブルトレの将来について検討を進めている。ほかの路線についても、新幹線の開業時期などに合わせて廃止することを視野に、検討しているという。

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そして12月20日にダイヤ改正が発表。銀河廃止も決定が確定しました。

日経ネット関西版より

「ブルートレイン」の愛称で親しまれてきた寝台列車のうち、JR西の運行する「銀河」(東京―大阪)などが来年3月に姿を消す。  銀河は終戦直後から約60年間走り続けてきたが、定員に対する乗車率が3―4割程度。「新幹線などの登場で移動手段としての競争力がなくなりつつある」との理由で、「なは・あかつき」(京都―熊本・長崎)や「日本海2・3号」(大阪―青森)とともに廃止されることに。  来年3月以降、大阪以西で運行するブルートレインは「富士・はやぶさ」(東京―大分・熊本)だけ。全国的にみても「あけぼの」(上野―青森)や「北陸」(上野―金沢)など計6路線となる。

MSN産経ニュースより

 JRグループ各社は20日、来年3月15日のダイヤ改正を発表した。ブルートレイン(ブルトレ)の愛称で親しまれた「銀河」(東京−大阪駅)「なは」(京都−熊本駅)「あかつき」(京都−長崎駅)の寝台列車3本が廃止となり、「日本海」(大阪−青森駅)と「北斗星」(上野−札幌間)は1日2往復から1往復に減少する。  「需要減少」が廃止の主な理由で、利用が比較的多い「銀河」でも昨年の平均乗車率は40%強。航空運賃の値下げ、料金の安い夜行高速バスの増加が背景にあるとみられる。  定期列車で残るのは「日本海」「北斗星」のほか、「あけぼの」(上野−青森間)「北陸」(上野−金沢駅)「はやぶさ」(東京−熊本駅)「富士」(東京−大分駅)。「トワイライトエクスプレス」(大阪−札幌間)を含めてもブルトレは計7本となる。

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昔、印象的だったシーンがあります。10時10分にたまたま東京駅から発車される臨時 サンライズゆめがホームに入線していた際に、銀河の乗務員がサンライズゆめの乗務員と話していましたが「そりゃ、銀河なんかに乗らないよな」と話しているのが聞こえました。

サンライズゆめと比較して言っていたと思いますが、現場の方でさえもあきらめ気味だったブルートレインというわけです。



銀河



銀河最終運転日の東京駅の様子

※思えば、銀河も2007年の夏に乗りましたが、確かにB寝台でものぞみより高かったりするんですよね。僕みたいな人間はいいんですが車両がぼろくて料金は高い。そのジレンマがどうしても出てしまいます。



なは・あかつき


■2009年3月 富士・はやぶさ 廃止

朝日新聞より

ブルートレイン:東京発が来年3月全廃 夢乗せ半世紀

 JR東京駅からブルトレが消える−−。戦後の復興期から約50年間にわたって首都圏と九州方面を結び続けた唯一のブルートレイン(寝台特急)「はやぶさ」(東京−熊本間)「富士」(東京−大分間)が来年3月のダイヤ改正で姿を消す。東海道・山陽本線を併結運転してきた最古参のブルトレは新幹線や航空機との競争に敗れ、廃止に追い込まれた。東京駅を起点としたブルトレは全廃となり、58年10月の運行開始以来、半世紀の幕を下ろす。

 ブルトレは客車がブルーの寝台特急。東海道・山陽新幹線の速度向上や航空各社の割引、低料金の長距離高速バスの参入で苦戦を強いられてきた。JRグループは列車の統廃合を進めたもののブルトレ発祥の東京駅始発着にこだわった。一方で、鉄道ファンの要望を受け、九州方面唯一のブルトレを存続してきた。

 しかし、運賃・料金の割高感や車両の老朽化、車内サービスの低下もあって敬遠され、07年度の乗車率は87年度のJR発足当初と比べて5分の1以下の10%台に落ち込んだ。季節によっては「空気を運んでいる状態」だった。このため11年春の九州新幹線鹿児島ルート全線開業を控え「ブルトレの社会的使命は終わった」と判断した。

 勇退が決まった「はやぶさ」は58年10月、東京−鹿児島間に特急列車としてデビュー。2年後にブルトレ編成となり、48年間にわたって東京−九州間をひた走った。ロビーカーを連結するなど最先端の設備を整えた青い客車を重厚な電気機関車がけん引し、鉄道ファンの人気を博した。05年3月から「富士」と東京−門司間を併結運転している。

 もう一つの「富士」は戦前の29年9月、東京−下関間の特急列車に付けられた国内最古の列車名を継承。東海道新幹線が開業した64年10月に運行を開始した。

 はやぶさの営業距離は約1293キロ、所要時間は17時間46分、運賃は2万4150円(B個室)。富士は約1240キロ、17時間14分、2万3730円(同)。

 来年春以降も引き続き運行されるブルトレは「北斗星」(上野−札幌間)▽「あけぼの」(同−青森間)▽「北陸」(同−金沢間)▽「日本海」(大阪−青森間)の4本となる。【斎藤正利】

スポーツニッポン

JR各社が19日発表した来年3月のダイヤ改正で、ブルートレインの愛称で親しまれた寝台特急はやぶさ(東京―熊本)、富士(東京―大分)の廃止が決まった。今年3月にはブルートレインの銀河(東京―大阪)、今月14日には、夢の超特急と呼ばれた初代新幹線「0系」が44年の歴史に終止符を打ったのに続き、またも“名車両”が姿を消すことになった。


(おまけ)はやぶさ・富士のラストランの記事を地域別に

●東京

ブルトレ最後の旅、東京駅に3000人 「富士」「はやぶさ」

さようなら、ありがとう――。引退するブルートレイン(寝台特急)「富士」「はやぶさ」が13日夕、最後の運行のため東京駅を出発した。ラストランを一目見ようとホームに約3000人が詰めかけ、半世紀にわたって東京―九州間を走り続けた雄姿にねぎらいの言葉を贈った。

 「富士・はやぶさ」が停車する10番線ホームは、カメラを手にした鉄道ファンらでごった返した。午後6時過ぎに青い車体がゆっくりと動き出すと、一斉に拍手がわき起こった。

 ラストランに乗車するため、妻(60)と2人で山形市から駆けつけた男性会社員(60)は「自分へのごほうび。最後だから無理して会社も休んだ」と興奮気味。熊本まで18時間の長旅も「今日は眠れそうにない」。(23:42)

Nikkei Net 3/14

●横浜

ブルトレ引退、ファンら1500人見送る/横浜駅

東京と九州を結ぶ最後のブルートレイン「富士・はやぶさ」(大分、熊本行き)が、十三日夕の出発で廃止された。JR横浜駅には千五百人ものファンや親子連れが集結。午後六時半ごろ、長い警笛を鳴らして青い列車が動きだすと、「ありがとう」の声とともに大きな拍手が送られた。

神奈川県新聞 3/14

●静岡

さようなら 富士駅で

JRグループの春のダイヤ改正で姿を消す「ブルートレイン」の「富士」(東京―大分)と「はやぶさ」(東京―熊本)の最終列車が13日夜に運行され、県内の各駅でも最後の雄姿を一目見ようと多くの鉄道ファンが詰めかけた。

 はやぶさは1958年、富士は64年にそれぞれ運転を開始。県内では静岡、浜松、富士、沼津、熱海の各駅に停車した。青い客車の寝台特急は、70年代〜80年代には「ブルトレブーム」を巻き起こしたが、利用者の減少から姿を消すことになった。

 富士駅には午後8時過ぎ、同一区間を同じ編成で走る下りの富士とはやぶさが到着すると、待ち構えた約300人の鉄道ファンらが一斉にカメラのシャッターを切って別れを惜しんだ。静岡市清水区蒲原、無職金子尊信さん(32)は「沿線に住んでおり、あの青い列車はあこがれだった。なくなるのは寂しい」と話していた。

yomiuri.online 3/14

●名古屋

ブルトレ、君を忘れない 名古屋駅でもファンら別れ惜しむ

 JRの14日の春のダイヤ改正で、廃止される東京発ブルートレイン、寝台特急「富士・はやぶさ」(東京−大分・熊本)の最終運行が13日あり、名古屋駅にも鉄道ファン約1000人が詰めかけ、半世紀の歴史に「さよなら」と手を振った。

 1970年代には、9本あった東京発着のブルトレも「富士・はやぶさ」の1本だけに。東京を同日夕に満席で出発し、名古屋には午後10時45分に到着。カメラのフラッシュを浴びたが「旅の情緒がなくなる」「昭和がまた消えた」と、惜しむ声も相次いだ。

chunichi web 3/14

●大阪・京都

さよならブルトレ「富士・はやぶさ」 別れ惜しむファン

ブルートレインの寝台特急「富士・はやぶさ」(東京―大分・熊本)の最後の姿を見ようと、13日夜から停車駅にはファンらが駆けつけた。

 14日午前0時40分、列車が警笛を鳴らしながらJR京都駅6番ホームに入って来ると、集まっていた約300人から一斉にフラッシュがたかれ、歓声が上がった。停車中は行き先表示を撮影したり車内をのぞき込んだりして、名残を惜しんだ。列車が動き出すと、ホームからは「ありがとう」と声が飛んだ。

 鉄道が好きで娘と見に来た京都市左京区の小林和久さん(47)は「残念だが、一時代を終えたということだろう。山口出身で、子どもの時には駅のホームで『これに乗れば東京に行けるのか』と夢を膨らませていた」と感慨深げだった。

 旅行会社の元添乗員、京都市中京区の保木義博さん(65)は「東京駅を出発したニュースを見て、飛んできた」。ブルトレに頻繁に乗り、ラストランの知らせに思わず涙が出たという。乗車券も買おうとしたが売り切れでかなわなかった。「ブルートレインの魅力は郷愁。昔はどこで駅弁を買うか事前によく調べたものだ。今の新幹線では時間の流れが速く、途中の駅で駅弁を買う余裕はない」

 JR大阪駅には、14日午前1時18分ごろ到着し、約500人のファンが出発を見送った。友達7人と来た京都市西京区の高校生中村倫朗(ともあき)さん(18)は「ゆっくり流れる景色や、ガタンゴトンという寝台列車特有の音には新幹線や飛行機にはない旅情があり、失われていくのは寂しい。最後はありがとう、と心の中で言いました」と話した。

asahi.com 3/14

●広島

ブルトレ見送りに630人

14日のダイヤ改正で姿を消すJRの寝台特急「はやぶさ」(東京―熊本)「富士」(東京―大分)が13日、最後の運行をした。山陽線で唯一残っていたブルートレインは多くのファンに見送られ、約半世紀の歴史に幕を閉じた。

 途中で連結された「富士・はやぶさ」の最後の上り列車は九州での事故の影響で広島駅(広島市南区)に予定より1時間10分遅れの午後11時45分に到着。ホームに青い車体が姿を現すと約630人の鉄道ファンから歓声が上がった。「さようなら」「ありがとう」の声に送られて発車した。広島市安佐南区の無職谷一夫さん(72)は「出張や旅行で利用した。朝、窓から見えた富士山の美しさが忘れられない」と感慨深げだった。

中国新聞 3/14

●熊本

JR熊本駅 1000人が別れ 「はやぶさ」ラストラン

寝台特急「はやぶさ」(東京‐熊本)のラストランを迎えた13日、上り最終列車の始発駅となったJR熊本駅には1000人以上の鉄道ファンが集まり、九州最後の「ブルートレイン」との別れを惜しんだ。

 ファンの心を映したような「涙雨」の空の中、ホームであった出発式では一日駅長を委嘱された熊本市出身のタレント、スザンヌさんの妹マーガリンさん(20)が運転士と車掌に花束を贈呈。

 発車時刻の午後3時57分になるとカメラや花束を抱えたファンたちの盛り上がりは最高潮に。はやぶさは「ピーッ」と長い汽笛を上げて熊本駅を飛び出した。ファンたちからは「ありがとう」の歓声と温かい拍手が送られた。

 学生時代の上京に利用したという益城町広崎の主婦木本明子さん(62)は「三段の寝台に揺られて友人と旅をしたのを思い出す。一つの時代の終わりのようで寂しいです」と涙ぐんでいた。

西日本新聞 3/14

●大分

名残の汽笛、心にこだま 富士見送る涙

後四時四十三分、JR大分駅。「富士号発車」と和田寿彦大分駅長らが合図を出した。「なごり雪」の大合唱に見送られ、寝台特急「富士」が最後の出発をした。受験、就職、転勤―。高度成長期真っただ中の一九六四年の運行開始から四十五年。多くの人の夢や希望、不安を乗せ、雨の日も風の日も毎日東京まで運行してきたブルートレインが九州から姿を消した。

 出発前、大分駅であった「さよなら寝台特急富士・発車式」では、JR九州の橋本親徳大分支社長が「富士も最後の旅を多くの人に見送っていただき、幸せだと思います」とあいさつ。一番線に富士が入るとファンが一斉にカメラを向け、最後の雄姿を収めた。
 染矢徹也車掌(45)と丸山野一也運転士(48)に花束が贈られた後、元かぐや姫の森進一郎さん(大分市)が歌う「なごり雪」に送られて出発。名残惜しそうに汽笛を鳴らし、遠くなる富士を見詰め、涙を流すファンの姿も見られた。

 車掌の息子ら号令
 ○…和田駅長と一緒に右手を挙げ、富士に最後の発車合図をした染矢翔太郎君(10)=佐伯市下堅田小四年=と大雅君(7つ)=同一年=兄弟は、最終便に乗務した染矢車掌の息子。号令を掛けると、翔太郎君の目から大粒の涙がこぼれた。「列車が大好き。なくなると思うと悲しくなった」

 一斉にシャッター
 ○…富士の撮影場所に指定された二番ホームには、カメラを持った約四百人のファンが詰め掛けた。列車が姿を現すと、一斉にシャッターが切られた。
 横浜市の会社員植木徹也さん(43)=大分市出身=は、始発の大分駅で最後の姿を撮影しようと、前日に東京から富士で大分入りした。「大学進学で上京した一九八五年も大分駅から家族に見送られて富士に乗った。若いころは帰省のたびに乗った。思い出が多くて寂しいけど、富士にありがとうと言いたい」と話した。

 「お礼言いたくて」
 ○…多くの人が詰め掛けた一番ホーム。その中にいた大分市羽屋の冨永ともよさん(75)は「東京の母に会いに行くのに数え切れないほど富士に乗った。母も富士で大分に来てくれた。東京までの切符が取れず、せめてありがとうと、お礼が言いたくて駅に来ました」と涙ぐんでいた。

大分合同新聞 3/14

●大分・熊本
ブルトレラストラン、終着駅は感謝とねぎらい

九州発着の最後のJR寝台特急「富士・はやぶさ」(大分・熊本―東京)の下り最終列車が14日、大分駅と熊本駅に着いた。山陽線で人身事故があり、到着は予定より大幅に遅れたが、鉄道ファンや最後の乗客たちは感謝とねぎらいの声をかけた。

 門司駅で連結が解かれ、「富士」は大分へ。終着駅が近づくと、最後の車内放送が流れた。車掌が感きわまった声で「ありがとう、富士号。お疲れさま、富士号。さようなら、さようなら、富士号」と別れを告げた。

 定刻より1時間55分遅れの午後1時12分、大分駅に。乗客の中には、現役の運転士の姿もあった。大津市のJR西日本社員、白石純一さん(29)は妻理恵さん(27)と東京駅から乗った。「悲しいけど、景色や車内の雰囲気を胸に刻むことができた」

 「はやぶさ」は1時間半遅れて、午後2時7分に熊本駅へ。運転士にサインをもらった福岡県久留米市のカップルは「ブルートレインが2人とも好きで、一緒に乗りたいと思っていた。残念です」と涙ぐんだ。

asahi.com 3/14

●六郷土手

東京・大田区の多摩川河川敷でも午後6時18分、鉄橋を通過する両列車に向かって、約100人のファンが「ありがとうブルートレイン」と書かれた長さ約20メートルのボードを掲げ、ペンライトを振って別れを惜しんだ。

このイベントを企画した神奈川県相模原市の大学3年、三宅諒さん(20)は「小学1年の時からのあこがれの列車。さびしいですね」と涙ながらに話した。

Yomiuri Onlin


■おまけ 自分が撮影してきた東海道を走ってきたブルートレイン達



富士(東京〜大分)



出雲(東京〜出雲市)



あさかぜ(東京〜下関)



銀河(東京〜大阪)



さくら(東京〜長崎)はやぶさ(東京〜熊本)



富士(東京〜大分)はやぶさ(東京〜熊本)


■おまけ ブルートレイン第二の人生



JR西日本はブルートレイン特有の丸みを帯びた青い客車32両をタイ国鉄に無償で譲渡する。山口県下関市のJR貨物地平コンテナ基地で、大型クレーンやトレーラーを使った搬送作業が始まった。2月下旬までに全車両が下関港に移され、タイに向かう貨物船に積み込まれる。

 JR西によるタイ国鉄への車両譲渡は4回目。今回は“元祖ブルトレ”として人気を集めた寝台特急「あさかぜ」と「彗星」に使った24系寝台車28両、14系座席車の計32両が海を渡り第2の人生を歩む。

 「あさかぜ」「彗星」が平成17年に相次ぎ廃止されて以来、下関車両管理室(同市)と宮原総合運転所(大阪市)、京都総合運転所(京都府向日市)で保管してきたが、用途が見込めず廃車予定だったという。

 昭和31年に東京−博多を結ぶ寝台特急としてデビューした「あさかぜ」は、33年にクーラーを完備した青い車両(20系)を初めて導入。「動くホテル」と呼ばれ一時は豪華寝台列車の代名詞となり、50年代に全盛を迎えたブルトレ・ブーム以降も鉄道ファンの間で高い人気を誇った。

JR西は「ブルトレの代名詞といえる『あさかぜ』に使われた車両が譲渡されるのは初めてではないか。国際貢献のためにもタイで頑張ってほしい」と感慨深げに話す。

 タイに到着した車両はレール幅(日本1067ミリ、タイ1000ミリ)に合わせて軌間などを改造したうえで運用される。新たに塗装を施すことも多く、残念ながら“ブルートレイン”のままとはいかないようだ。

 ちなみにブルトレの定義はマニアによってまちまちだが、(1)寝台特急である(2)動力車が客車を牽引(けんいん)する(3)車体が青い(4)14、20、24系車両を使用する−ことなどが条件になるらしい。

(MSN産経新聞ニュースより)


■関連ページ

東海道線 東京駅口で見られるブルートレイン

富士・はやぶさ乗車記 東京〜博多

急行銀河東京→大阪乗車記

思い出の富士・はやぶさ

J
R寝台特急 さよなら富士・はやぶさ 廃止最終運転レポート





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