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JR寝台特急 出雲 廃止


■2006年2月末寝台特急 出雲廃止の方針をJR3社(西日本・東海・東日本)が決定



50年以上にもわたる長期間東京と山陰を結んだ寝台特急の出雲が、車両の老朽化、利用者の激減に伴って2006年の春のダイヤ改正で姿を消すことになりました。



今後は岡山から伯備線経由で走っている寝台特急サンライズ瀬戸については運転を続けるようです。
(JRからの公式発表はありませんが、ほぼ確定のようです)




■地元自治体の根強い反発



寝台特急りも今回JRダイヤ改正がJR各社から発表されて明らかになる前に大騒ぎになっているのは山陰の関連都道府県で根強い廃止反対運動がおきているからです。

特に来年か再来年かに餘部鉄橋の立て替えが計画されており、これには兵庫県と鳥取県から資金が出されることになってします。

そのためせっかく税金をつぎ込んでまで立替をやる中で廃止をされてしまうと面子丸つぶれといったところも正直あるような気がします。



出雲は寝台特急がどんどん廃れていく中でもサンライズ出雲を含めて2往復が走っていますが、正直需要が追いついていない状況でした。ただしそれでもここまで持ちこたえることが出来たのも山陰地方の有力な政治家の力もあったのではないかと個人的には思っています。



逆を言えばJRも民営化されて株主から利益を求められるようになっている以上ブルートレインはリストラ対象にしかならないのでしょう。


■次から次へと消えていくブルートレイン



2005年2月末にさくら(東京−長崎)、あさかぜ(東京−下関)、彗星(京都−南宮崎)が相次いで廃止されるなど東海道・山陽を走るブルートレインのリストラはますます加速してきています。



先ほど言いましたように時代の流れから考えれば経済合理性の元廃止されていくのは致し方ないでしょうが、どこかに寂しさは残ってしまいます。



「狭い日本そんなに急いでどこにいく」という言葉がありましたが、団塊の世代が相次いで定年退職して時間とお金を持て余すだろう中で、このように時間を贅沢に使う列車をもう少しうまく使うことは無理だったのかな?と思ってしまいます。



東京駅21時10分発は出雲号の指定席でした。。。。。


■レポート 2月某日の東京駅



廃止までいよいよ1ヶ月をきった出雲を拝みに頑張って起きて東京駅に行ってきました。

この日は名古屋駅で人身事故があった影響で銀河、出雲、サンライズ瀬戸・サンライズ出雲が送れて東京駅に到着しました。

休日なら100%品川止まりになっていたことでしょう。

そのためご覧のように9番線、10番線に並んで寝台客車が入りましたが、東京駅で今後このような光景を見るのは非常に難しいんじゃないかなと思いました。











だんだん去年の「あさかぜ」、「さくら」の末期状態になってきました。やっぱりすいているときに撮るに限るなと思ったりしました。
1年前なんて出雲を撮る人なんて、2人、3人くらいしかいませんでしたしね。



また東京駅の時刻表から寝台特急が消えます。。。。



最終日まで頑張って走り続けてください。



ありがとう、寝台特急 出雲号


■参考資料

産経新聞 2006年3月18日

山陰と東京を結んで三十四年間走り続けた寝台特急「出雲」の最後の上り列車が十七日午後五時四十五分、島根県出雲市の出雲市駅を出発した。一カ月前に発売された約三百席は一秒で完売。この日は鉄道ファンら約三百人が詰め掛け、出発の汽笛が鳴ると「ありがとう」と歓声が上がり、拍手が鳴りやまなかった。

 一方、最後の下り列車は同日午後九時十分、東京駅を出発。約二千人が見送った。戦前、出雲大社に向かったお宮参り列車がルーツとされ、戦後、山陰を発着する急行などが「いずも」と名付けられ、昭和四十七年に東京との間を結ぶ寝台特急「出雲」がデビューした。

 この日出雲市駅で、平成三年に廃止された食堂車で働いていた出雲市の恩田純治さん(40)は「思い出が詰まった職場が消えるのは寂しい。これでまた東京が遠くなった気がする」と、名残惜しそうに話した。

【2006/03/18 東京朝刊から】



日本海新聞 2006年3月18日

ありがとう「出雲号」 惜しむ市民ら雄姿見送る

多くの鉄道ファンに迎えられてJR鳥取駅に到着した寝台特急「出雲」=17日午後8時30分、JR鳥取駅
s 十八日からのJRのダイヤ改正に伴い、五十五年にわたる歴史の幕を閉じた寝台特急「出雲号」の最終列車が十七日、島根県出雲市のJR出雲市駅から東京駅に向けて運行された。始発の出雲市や鳥取、豊岡の各駅では、廃止を惜しむセレモニーが行われ、全国から詰め掛けた大勢の鉄道ファンが、山陰地方で唯一のブルートレインの最後の雄姿を見送った。

 ブルートレインとして長年親しまれてきた出雲は、一九四七年に山陰と大阪を結ぶ準急列車としてスタート。五一年に東京まで延長され、七二年から寝台特急となった。山陰地方と東京をそれぞれ夜に出発して翌朝に到着するという利便性の良さからビジネス客や観光客に利用されてきたが、社会情勢の変化などで姿を消すことになった。

 JR鳥取駅で行われた「ありがとうセレモニー」には、子どもからお年寄りまで約四百人の市民らが詰め掛けた。

 出雲はカメラのフラッシュに迎えられ、定刻から八分遅れの午後八時三十分、同駅に到着。同駅から乗り込んだ運転士の塚田一智さん(42)らにしゃんしゃん鈴の音大使から花束が贈られた。続いて乗客約五十人が乗り込み、一日駅長を務める竹内功鳥取市長の出発の合図で同八時三十四分、詰め掛けた市民らが見守る中、ゆっくりと東京に向けて出発した。

 旅行のため、同駅から乗り込んだ鳥取市河原町の会社員、山田由紀子さん(71)は「三十年前から横浜に住む子どもに会うために何度も利用してきた。三段寝台も雪で遅れたことも懐かしい」と感慨にふけっていた。

 一方、最後の下り列車は同日午後九時十分、約二千人が見守る中、東京駅を出発した。



日本海新聞 2006年2月12日

<下>利便性に懸念

 寝台特急「出雲」の廃止が決まり、県中部と東京を直結する公共交通機関は高速バスのみとなる。JRは代替として、伯備線経由で山陰と東京を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」との接続で利便性を確保するとしているが、県中部からのアクセスは利用者が満足できるものなのか。いくつかのケースでシミュレーションする。


夜行のメリット
JRが示した代替ルートは、寝台特急「サンライズ出雲」に上郡駅(兵庫県上郡町)から乗車するもの。

倉吉駅から利用する場合、まず、午後九時一分発の快速列車に乗車。鳥取駅で同九時四十七分発の特急「スーパーいなば」に乗り換え、さらに上郡駅で同十一時十一分発の「サンライズ出雲」に乗り換える。東京には翌朝の午前七時八分に到着する。「出雲」よりも所要時間が一時間四分短縮されるが、二度の乗り換えが必要で、料金も片道通常料金で出雲の一万九千九百五十円より二千七百円割高になる。

帰りも上郡駅で午前六時三分発の「スーパーいなば」に乗り換える必要があり、寝ている間に目的地に着く「出雲」と比べ、行き帰りともゆったりとした旅は望めない。「出雲」の乗客の一人は「夜行のメリットは乗り換えがなく、仕事をしない時間に移動できること。深夜や早朝に乗り換えるような列車には誰も乗らないよ」と厳しい意見。

 米子駅からサンライズ出雲に乗る場合は、午後七時三分倉吉駅発の快速列車に乗ることになる。乗り換えは一度で済むが、所要時間が五十四分、料金も千百六十円増えてしまう。

日中に移動するケースでは、特急「スーパーはくと」と新幹線を乗り継ぐルートがあるが、東京に最も早く到着するのは午後零時半。午前中から都内で行動する人の当日利用は不可能だ。

時代の流れ
JR以外の交通機関はどうか。「出雲」廃止後、県中部と東京を直結するのは高速バスが唯一の手段となる。倉吉駅発で夜間に一便運行しており、運賃は片道一万七百円と最も安いのが魅力だが、ほぼ半日もの時間を座席に座り続けなくてはならない。

飛行機を利用する場合、県中部からは、鳥取空港発の東京(羽田)便が利用しやすい。鳥取−東京便は一日四便。料金は片道通常料金で二万六千二百円。現行時刻表では、午前七時十五分発の早朝便に乗れば、同八時二十五分に羽田に到着するため、午前中に東京で仕事をするビジネス客にとって利便性が良い。「出雲」に乗車して話を聞いた乗客の多くも「これからは飛行機を使う」と話した。

「出雲」が寝台特急となった一九七二年当時と比べ、山陰と東京を結ぶ交通網は様変わりした。利用者の選択肢が増え、価格競争も激化。JRも新型車両を次々導入している。約三十年前に製造され、老朽化した車両を今も使用している「出雲」は、速さや快適性を求める時代の流れから取り残され、間もなく姿を消す。

皮肉にも、夜間の移動で時間のロスがなく、現地での滞在時間が長く使える「出雲」の存在価値は、廃止によってクローズアップされた。乗客の一人が「行きはいさり火。帰りは城崎の海や余部鉄橋からの景色」と話した風情のある車窓の風景も、もう見られない。


日本海新聞 2006年2月10日

消える寝台特急「出雲」

<上>出雲号で考えた

 JRのダイヤ改正で、山陰と東京を結ぶ寝台特急「出雲」が三月十七日に廃止される。空港も高速道路もない“交通過疎地域”の県中部地区への影響は必至で、これまでビジネスや受験、帰省などに「出雲」を利用してきた中部在住者は不便を強いられることになる。実際に「出雲」に乗車し、乗客から聞いた話をもとに、「出雲」廃止の要因や中部の乗客に対して果たしてきた役割、今後の東京への交通アクセスについて考える。

 二月六日午後七時半すぎ、JR倉吉駅(倉吉市上井)の二番ホームに立った。雪交じりの雨と寒風が吹き抜けるホームには、旅行かばんを手にした乗客や見送りの家族ら約二十人が、間もなく到着する「出雲」を待っている。その中の一人に声を掛けた。同市内の衣料品店の女性経営者だった。

 月に数回の東京での仕入れ。その度に「出雲」を利用してきた。「朝早く東京に到着し、丸一日仕入れができる。時間が有効に使える出雲は便利」。話をしているうちに、「出雲」の到着を知らせるアナウンスが流れた。


それぞれの目的
 座席は、二段ベッドが向かい合わせに並んだB寝台。同じボックスの向かいの席には、霞が関での仕事を控えた市内在住の公務員の男性が座っていた。学生時代にサッカーに熱中し、チームの遠征時によく「出雲」を利用したという。「仲間と夜中語り明かしたこともあった」と思い出を話してくれた。

 同じ車両に子どものはしゃぐ声が聞こえる。倉吉の実家に帰省していた横浜市在住の親子連れだった。「廃止になる前に一回乗っておこうと思って」と父親。二歳の長男は「電車大好き」と笑顔を見せながら両親に甘えていた。

 倉吉駅で家族に見送られていた保育士の女性は、東京で就職した娘に会うために乗車した。「初めての出雲。最初で最後になってしまうかもしれないけど良い記念になったと思う。東京でも娘が見送ってくれるかな」

 今は営業していない食堂車は“宴会場”と化していると聞いたので行ってみた。なるほど確かに、中年男性らがカップ酒や缶ビール片手に仲間と楽しんでいる。一方で、寝る間を惜しんで参考書を熟読する受験生の姿も。

 ディーゼル車両との連結部には、始発の島根県出雲市から「出雲」に乗るために仕事を休んだという都内在住の鉄道ファンが、カメラを片手に赤いディーゼル車両を見つめていた。「出雲」に乗車して十年近くになる車掌によると、最近は記念乗車する鉄道ファンが増えているという。車掌自身も鉄道ファン。愛着ある列車の廃止に寂しさを感じていた。

 豊岡駅を通過した午後十時すぎ、消灯を知らせるアナウンスが流れた。JRのロゴが印刷された浴衣に着替え、横になる。先ほどまではしゃいでいた子どもも寝静まり、車内にはレールの音だけが響いていた。


「仕方ないこと」
 まだ辺りが暗い翌朝六時に起床し、車内の洗面所で身支度を整えた。ビジネス、受験、家族との再会…。思いを胸に抱いて上京する乗客を運ぶ「出雲」は、間もなく終点の東京駅に到着する。

 乗り換えもなく、寝ている間に東京へ運んでくれる。地方在住者の上京の“足”として活躍してきた「出雲」だが、近年は、乗車率が四割弱に落ち込んでいる。

 この日のB寝台の乗客も二百人の定員に対し約五十人。多くのボックスには一人しか乗客がいない。「ここ十年で急激に減り、一両で一人という時もあった。廃止は仕方ないことなのかな」と同じボックスの男性がつぶやいた。

 廃止を決めたJRへの批判や今後のアクセスに対する懸念の声も挙がっているが、これまで利用せず、「出雲」を見放していた自分たちの存在も一因ではないのか。そんな疑問を感じながらうっすらと雪化粧した早朝の東京駅へ降り立った。


産経新聞 2006年1月25日

3月のJRダイヤ改正で、東京と島根県出雲市を結ぶ寝台特急「出雲」が廃止される。故郷へ、東京へ、夢にまどろむ乗客を運んだ夜行列車がまた一つ、姿を消す。廃止目前の“消えゆく寝台特急”に乗車した。

 午後8時59分、ブルーの車体に照明や信号機の光を反射させ、東京駅十番ホームに「出雲」は入線した。電源車の低いうなりが、旅の期待を膨らませる。

 B寝台の同じボックスには、北海道在住の熱烈な鉄道ファンの会社社長(44)。「出雲」に乗るためだけに飛行機で上京した。「仕事は従業員にまかせてきた。明日北海道へ帰る」という。

 車掌さんによると最近は彼のような「ファンのお客さん」が多い。自身も鉄道好きで、子どものころ車掌の「白い夏服」にあこがれてこの道に入ったそうだ。

 10時すぎ、消灯。にぎやかにトランプで遊んでいた新体操選手の女子生徒たちも眠りについた。

 車内で酸素ボンベを持ったお年寄りの夫婦と知り合った。月に1度、夫の持病の治療のため、「出雲」に乗り東京へ通院している。「足が不自由だから、乗り換えなしで東京に行けるのがありがたい。でも1両に(乗客が)私たちだけの日もある。廃止するなとは言えないね」

 一方、小学生の孫と水入らずで旅をしていた女性は廃止を惜しむ。「相席の見知らぬ人と話ができる。向かい合わせの座席がやっぱりいい」

 山陰と東京を結ぶ代表的交通機関だった「出雲」も、最近は乗車率が定員の3割台。車両の老朽化は著しい。飛行機のように速くない。バスのように運賃が安くもない。けれど他のものに替え難い“ぬくもり”を運び続けた車両は午前10時54分、出雲市駅に到着した。

日本海新聞 2005年12月22日

「出雲」廃止を発表 代替輸送で救済策

 JR西日本などJR各社は二十二日、来年三月のダイヤ改正を発表し、JR山陰線を経由して山陰地方と東京を結ぶ寝台特急「出雲」を来年三月十七日で廃止することを明らかにした。山陰と首都圏とを結ぶブルートレインとして、住民に五十年以上も親しまれてきた「出雲」は社会状況の変化などで歴史の幕を閉じることになった。

 出雲の廃止理由としてJR西日本鉄道本部の三浦英夫運輸部長は「利用客の減少と客車の老朽化」と説明。廃止後の代替としては、山陽線上郡駅(兵庫県上郡町)乗り替えで、伯備線経由の東京行き寝台特急「サンライズ出雲」が利用できるよう、特急「スーパーいなば」を増発する。浜坂駅など兵庫県の駅からの利用者の救済策は取らない。

 また、鳥取県などがJR山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町)の架け替えが地元負担で行われることなどを上げて廃止に反対していることについて、三浦運輸部長は「『出雲』は当社の寝台列車の中で利用者が最も少なく、廃止対象になった。廃止と問題解決がたまたま重なったが、別の施策であると理解してほしい」と述べた。

 出雲は一九四七年に山陰と大阪を結ぶ準急列車としてスタート。五一年に東京まで延長され、七二年から特急となった。JR発足時の八七年には二編成あり、利用者は年間約三十万人あったが、近年は一編成となり、約六万人程度まで落ち込んでいた。



日本海新聞 2005年12月16日

沿線活性化に冷や水 余部鉄橋架け替え何のため

 JRが十五日までに、寝台特急「出雲」を廃止する方針を打ち出した。強風が吹くと止まる余部鉄橋の架け替えに地元は多大な負担を覚悟し、兵庫・鳥取両県がその負担割合を決めたばかり。沿線の活性化に向けてようやく動き出した出はなをいきなりくじかれた格好だ。沿線自治体や住民は強く反発している。

 但馬三市二町で構成する但馬自治会(会長・中貝宗治豊岡市長)と北近畿鉄道複線電化促進期成同盟会(同)は八日、JR西日本福知山支社の森田力夫支社長に対し、出雲の運行確保を求める要望書を提出。「但馬と首都圏を結ぶ唯一の列車として経済発展や観光に大きな役割を果たしている」として、永続的な運行を求めた。

 九日には、新温泉町役場にJR西日本福知山支社の社員二人が来庁。浜坂駅からは一便当たり平均一人の乗降客しかなく車両が老朽化していることなどを担当者に説明し、「出雲」廃止の方針を伝えたという。

 馬場雅人町長は「冠婚葬祭やビジネスなどで関東や名古屋に急用ができた時、ダイレクトな交通機関として役立っている」と住民生活や経済の発展に貢献している実態を強調。「このルートが絶たれると、ここは離島と同じ状況になる。観光面でもイメージダウンが大きい」と懸念する。

 さらに「何の改善も行わずに、利用実績が悪いので廃止という判断をされてはたまらない。定年を迎える団塊の世代が動き出すのはこれから。あと三年ぐらいは待つ余裕があっても良いのではないか」とJRの姿勢を批判した。

 藤原久嗣香美町長は「まだJRには聞いていないが、余部鉄橋が架け替えられるわけだし、何としても残したいという気持ち。香住だけどうこうというのではなく、但馬が一丸となって存続が図られるよう努力していきたい」と話した。

 浜坂町観光協会の松岡貢会長(68)も「余部鉄橋架け替えの負担を地元に求めながら、一方で列車を切り捨てるとは、理解に苦しむ。出雲が通らなければ、何のための鉄橋架け替えか分からなくなる」と憤る。

 鉄道を含めた公共交通の在り方を研究している「浜坂まちで公共交通を考える 育てる会」世話人の笹谷浩二さん(67)=新温泉町諸寄=は、「『出雲』は浜坂の公共交通の重要な部分を占める象徴的な列車」と、存続を切望。「せめて、『はまかぜ』の新車化や『スーパーはくと』の浜坂延伸、山陰線高速化など、出雲廃止に代わる何らかの“土産”が提示されなければ、山陰線はますます衰退する」と嘆いた。



日本海新聞 12月15日

山陰と東京を結ぶ寝台特急出雲号=15日、JR米子駅
 JR西日本など四社が、山陰線を経由して首都圏と山陰を結ぶ寝台特急出雲号を、来春のダイヤ改正で廃止する方針を固め、近く発表することが十五日、鳥取県議会企画土木常任委員会で報告された。ブルートレインとして長年親しまれてきた出雲号の廃止は、ビジネスや観光面などへの悪影響が懸念され、地元自治体などから存続を求める声が上がっている。

 県によるとJR西日本の垣内剛社長が十四日、県庁に片山善博知事を訪ね、採算面の悪化などを理由に「(出雲号を)廃止する方向で最終調整している。廃止はやむを得ない」と述べ、二十二日に発表することを伝えた。

 片山知事は席上、JR山陰線の高速化整備事業などで地元が事業費を負担したことを強調し、「JRは公共交通機関の社会的役割を果たしていない」などと批判し、強く再考を求めた、という。

 JR各社は今年に入って特急「さくら」(東京−長崎間)など、長距離夜行列車三路線を廃止。出雲号も、関係するJR西日本、JR東日本、JR東海、JR貨物の四社が半年前から、乗車率が四割弱まで落ち込み、採算性が悪い▽車両の老朽化▽ブルートレイン車両ヤードの不足−などを理由に廃止を検討していた。

 これに対して、県は先月、兵庫、島根両県と三県知事の連名でJR西日本などに出雲号の存続を要請。十五日には、県市長会と県商工会議所連合会が「経済活動に大きな役割を果たしている」などとJR西日本に存続を訴えた。

 出雲号は、一九四七年に山陰と大阪を結ぶ準急列車としてスタート。五一年に東京まで延長され、七二年から特急列車となった。夜出発し、朝到着するため現地での滞在時間が長く使えることからビジネス客や観光客に利用されてきた。JR発足時の八七年には二編成あり、年間約三十万人が利用していた。



日本海新聞 11月30日

特急「出雲」廃止を検討 JR、年内にも結論

 東京と山陰を結ぶ寝台特急「出雲」について、JRが廃止を含めた運行の見直しを検討していることが、二十八日の鳥取県議会企画土木常任委員会で明らかになった。JRは十二月中にも運行を打ち切るかどうか結論を出す方針。県は観光面への影響などを懸念し、鳥取、島根両県と連携して存続を訴えていく構えだ。

 JRの長距離夜行列車は年々、利用者が減少。今年三月には「さくら」(東京−長崎)と「あさかぜ」(東京−下関)が、十月には「彗星」(京都−南宮崎)が相次いで廃止されており、出雲も利用者はピーク時の三分の一以下に落ち込んでいる。

 JR西日本広報室によると、運行の見直しは▽非常に悪い採算性▽車両の老朽化▽ライフスタイルの変化によるレジャー型利用へのシフト−などが主な理由。共同運行するJR東日本、JR東海とともに三社で存廃を含めて検討を進め、結果については十二月中に公表する方針だ。

 この動きに対し県では、今月下旬に入って鳥取・島根の両県と合同でJR三社を訪れ、出雲の永続的運行を求める要望書を提出した。特に、余部鉄橋)の架け替えや鳥取・島根両県内の高速化など、多大な地元負担を前提に路線整備を進めている点を強調したという。

 県交通政策担当課長は「多大な地元負担をして余部鉄橋を架け替え、利便性を図ろうという中で、採算が悪いというだけで(出雲を)廃止するような、逆行する動きはどうか」と指摘。現在、但馬地方と東京を直結する路線はバス・飛行機を含めて出雲しかなく「地域の重要な足として今後も存続を訴えていく」としている。

 出雲は一九四七年六月、大阪−大社間の準急として運行開始。六一年十月に東京発着となって以降は、山陰方面へのブルートレインとして定着している。朝の余部鉄橋を通過する勇姿は現在でも多くの鉄道ファンをひきつけ、撮影ポイントとしてアマチュア写真家らに親しまれている。

■関連ページ

東海道線 東京駅口で見られるブルートレイン

富士・はやぶさ乗車記 東京〜博多

急行銀河東京→大阪乗車記

思い出の富士・はやぶさ

J
R寝台特急 さよなら富士・はやぶさ 廃止最終運転レポート




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