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ヨーロッパ卒業旅行回想記

その4 ナポリ⇒アマルフィ⇒ブリンシディ⇒パトラス(南イタリア編)


その1その2その3その4その5

■ナポリはイタリアの下町

ローマで2日過ごしイタリアを南下。 南部の都市、ナポリに向かいます、
本当はニースからローマに着いた日にナポリに入る予定が鉄道のストライキで計画を変更せざる負えなかったのです。

こんなストライキがヨーロッパでは日常茶飯事です。



高台から見たナポリの風景、ヴェスヴィオ火山が見えます。



こちらはナポリ市内、イタリアの都市はどこもそうなのかもしれませんがとにかくごみごみしている感じです。
まさに下町。



こちらもそうです。



そして王宮。
ナポリで今でも記憶に残るのは、とにかく女性に声をかけるナンパ精神。そして泊まっていた宿の近くにあったケーキ屋さんのパン。

すごくおいしくて毎日通っていたことを今でも思い出します。
次はナポリから日帰りで郊外に出ます。




■ボンペイ遺跡・アマルフィ海岸

さてナポリの周辺郊外には世界的観光名所が多くあります、そんな観光名所を1日でナポリ発で巡ります。



その際にはヴェスヴィオ周遊鉄道が大活躍です。
確かこちらの鉄道はユーレイルパスが使えたと思います。(間違えていたらごめんなさい)

とにかくユーレイルパスはあっちこっちでそんなわけで使わせていただきました。



まずやってきたのが、2000年以上前に火山によって時間を止めたまま残ったポンペイの町。(ポンペイ遺跡)



競技場まで含めて今もその姿をしっかり残しています。

だいぶ前なのでだいぶ記憶が薄らいでいますが、とにかく広かったそんなところかw
そんなポンペイから鉄道でソレントにそこからさらにバスに揺られて、次なる目的地は映画”アマルフィ”でおなじみの”アマルフィ”に向かいます。

このエリアの有名どころといえば”カプリ島”なんですが、アマルフィもだいぶ日本人にとってなじみがあるところになってきた気がします。



バスから撮った写真。景色はきれいですが半端じゃないギザギザ道なんで行きは酔ってしまった。



やっと到着。側面から撮影したアマルフィの町



アマルフィの有名どころ”ドゥオーモ”



岸壁に作られた町なので、町の中も秘密基地にみたいになっているところが多かったです。
イタリアは最近観光客が減っていると報道がありましたが、やっぱ見どころとか多くていいですよ!



こちらの動画も素晴らしい!


■いざギリシャへ

ナポリからローマにもどり一泊、ユースホステルに泊まろうと思った満室でその時に知り合った日本人男性と駅前のホテルをシェアーして泊まりました。

ここら辺のホテルのオーナーの奥さんは何人かが日本人だったような気がします。

さてこの旅行も行程の半分を過ぎましたが、この日はローマからイタリアの下側のブリンシディという街まで移動します。



イタリアの名物特急EURO STARで約5時間程度の道中です。

さてブリンシディになぜ向かったか?そこにはギリシャのパトラスまでを結ぶフェリーが出ているからです。しかもこのフェリーは今回の旅行で使っているユーレイルパスの対象区間。

ただフェリーの時間が時刻表を見ると結構きわどいタイミング。
ブリンシディ駅について、フェリーのチケット売り場まで走って駆けこんだものの、船はすでに出港という無常は返答。

明日のフェリーに振り替えろと言われ(ユーレイルパス適応対象外)、さてどうしようかと思ったらそこにいた同じくフェリーに乗るというドイツ人の若者2名がルームシェアーを提案してきたではないですか!

もちろん、喜んで提案に乗りました。

驚いたのは彼ら二人の旅行です。彼らはドイツからイタリアまで自転車をこいでやってきたとのこと。

そして最終目的地はインドというスケールの違いにあごをあんぐりさせてしまいました。その道中では教会に泊らせてもらいながら来たというから感心してしまいます。

翌日、フェリーが出る夕方までブリンシディの街中をぶらぶらするものやることはなし。最後はマクドナルドでうつぶせになって寝ていました。

やっとフェリーの出航時刻です。


■早朝のお祈りで起こされた・・・

船は一番安いチケットすなわちデッキで雑魚寝というやつです。欧米人のちょっとお金がありそうなセレブはみんな個室なんですが。

すざましい姿勢で寝ていたら、薄気味悪い声に起こされます。
なんとイスラム教の方々がアラーに向かってお祈りをスタート、チュニジアかモロッコかどこから来たか覚えていないですがどうも巡礼の旅に向かうツアーの一団がこの船に乗り込んでいたようです。

とてつもない体験で今でも忘れられないです。

翌日のお昼にパトラスに着いてからは1時間ほどの接続でアテネに行く列車に乗車。ここまでもまた数時間同じ座席に乗っていたら、近くの人と話が徐々に始まりました。

その現地の人は日本は素晴らしいといい、ドイツとアメリカをとことん毛嫌いしていました。で挙句に日本はなんでアメリカと手を組んでいるんだ、アメリカは日本に原爆を落としたんだぞと熱く語ってきました。

今ならその健忘症が日本人の国民性なんですと答えられる気がします。

その5に続く




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