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![]() 球場を1周する古田選手に対する歓声 |
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■はじめに |
表題の試合を観に神宮に行ってきました。 90年代のヤクルト黄金時代の要だった選手であり、神宮に行けば当たり前のように会えた選手の引退試合だけは是が非でいこうと思っていました。 なぜならこの試合は古田選手の引退でもあり、大学時代に狂ったようにヤクルトを応援していたころの自分の一時代への終止符になると思ったからです。 |
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■いざ満員の神宮球場へ |
発売日の数時間で完売だったチケットですが、発売日に会社の近くのコンビニでなんとかゲット。超満員の神宮に行きます。 球場で渡されたメモリアルボードがこれ。 ボードを見た瞬間に胸にえらくこみ上げるものが・・・ 試合開始前に流れた映像では、古田選手の足跡を振り返る映像が。 野村前監督も古田選手も若い、若いwww 今日は試合というよりももはやお祭りです。 |
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■古田選手のプレーを目に焼き付けて |
1回の表の守備についたときです。 2回の裏の打席です。 結局4回の打席が回ってきましたが、そのたびに球場の熱気は甲子園に近いもしくはそれを超えるような熱気でした。 なお古田選手の打席では、全員がもらったボードを掲げます。 これはレフトスタンドの広島ファンもほとんどが参加。 それによって球場全体が緑で埋め尽くされるという光景になりました。 ![]() |
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■クライマックスの8回、9回 |
まず8回の表に登場してきたのがサウスポーのエースの石井。 古田監督と長年にわたってバッテリーを組んできただけに、このイニングに対して感じるものはあったのではないかと思います。 残念ながらホームランは打たれてしまいましたが そうした中で、8回の裏、古田選手に最後になるであろうと打席が回ってくるだろうというそのときになんとカープのブルペンでは前日引退登板を果たした佐々岡投手が・・・・ ブルペン近辺は大騒ぎ そして、古田選手の打席が回ってくるとすかさず広島のブラウン監督がピッチャー交代で佐々岡をコール。 球場全体が大騒ぎです。 残念ながら古田選手の最後の打席はセカンドゴロでしたが、正直佐々岡投手が出た瞬間にこの打席の結果自体はどうでもいいくらい感動でした。 イニング終了後、古田選手から佐々岡選手に花束贈呈。惜しみない拍手が送られてしました。 そして9回の表、古田捕手最後のバッテリーとなったのが高津投手。 彼も日本シリーズやリーグ優勝で古田選手と抱き合ってきた戦友です。 ![]() この打席で広島は代打で前田選手や緒方選手など90年代の名選手を次々と繰りだしました。 本当この試合が感動的だったのは、広島カープの粋な計らいがすごく大きかったです。 無事に最後の守備機会を終えて、ベンチに戻る際に古田選手のお尻を高津投手がポンと叩いたときに、古田選手はどうも「きて」しまったようで、しばらく「マスク」を外すことができなかったようです。 |
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■高津投手のインタビュー(サンスポより) |
監督というより、ボクにとってはやっぱり「古田さん」。 あえて、そう呼ばせてもらってきた。リーグ制覇とか、日本シリーズとか、記憶に残る試合はいろいろとある。大ざっぱな表現しかできないけど、最後の苦しい局面を何度も2人で乗り切ってきたというのが最高の思い出だ。 投手と捕手との距離を置いて、指1本で会話してきた。古田さんがボクを分かってくれて、それを意図して投げて。指だけで話ができた人は他にはいない。監督になってからもいろんなことを相談しやすい人だったし、他の監督とは違った。 ボクがメジャーのトライアウトに挑戦するときも一緒に自主トレをやって、受けてくれたのが古田さん。実はあのときに、あるメジャーのスカウトが「あのキャッチャーいいね」って言ってたんだ。そりゃそうだよ。だって古田敦也だよ。そのスカウトも「そうか、あれが古田か」って納得してた。あの時点では、間違いなく世界一の捕手だった。だからメジャーに行ってほしかったとも思う。 プライベートでも親しくしてもらってきた。だから、直接は聞かなかったけど、今季で辞めるだろうという空気は分かっていた。正直で、隠し事ができない人だから。引退会見のときも「悔しい」と言ってたけど、食事してるときの会話でも、ときどき悔しさをにじませていた。チームの成績が悪かったのは、誰か1人の責任じゃない。ボクも首を絞めたうちのひとりだと思う。そういう意味では、申し訳ない思いでいっぱいだ。 監督と選手の関係ではよくないかもしれないが、古田さんとは“仲良く楽しく”やってこられた。もう受けてもらえないと思うと寂しい。でもいずれは野球界に戻ってくる人。少し、ゆっくりしてください。 |
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■引退セレモニー |
引退セレモニーには両親や奥さんも来ていました。 挨拶をした後、胴上げ。 最後はリーグ優勝や日本シリーズ優勝で見せてくれたフェンス越えで締めてくれました。 ![]() この時ばかりは三塁側にいたのが悔しかったですがw ![]() 本当にお疲れ様でした! |
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■スポーツ紙面より |
古田涙の神宮舞い「また会いましょう」(スポーツニッポン) 【ヤクルト3−6広島】さようなら、そしてお疲れさま。ヤクルトの古田敦也選手兼任監督(42)が7日、本拠地最終戦となった広島戦(神宮)で先発出場し、18年間の現役生活に幕を下ろした。“引退試合”には超満員3万人の観衆が詰め掛け、神宮の杜には「古田コール」が鳴り響いた。眼鏡をかけた捕手、闘う選手会長、そして兼任監督…。球界に数々の新風を吹き込んだ希代の名捕手は、最後までファンに愛され、グラウンドに別れを告げた。 【古田引退記念パネル】 18年間、守り続けたホームベースの上で27番は5度宙に舞った。「これで終わりなんだな…」。寂しさはあっても悔いはない。だから笑顔だった。「やめないで…」「また戻って来いよ」。ファンの大歓声に包まれて古田監督は「何度も心が折れそうになりましたが、皆さんの声に支えられました。また会いましょう」と言った。9月19日の退任&引退会見とは違う。目に光るものがあっても表情は穏やかだった。 サインボールを投げ入れての場内一周。クラブハウスに戻ろうとすると高津とラミレスに右翼スタンドへ促された。お尻を押されてフェンスを登ると目の前には誰よりも愛したファンが待っていた。「18年間で一番の思い出は01年の優勝。最後は捕飛で終わったし(左ひざの)じん帯が切れたりもしたので…」。本拠地で近鉄を撃破してつかんだ日本一。その時と同じパフォーマンスで最後の別れを告げた。 「勝てなかったのが残念だけど…。でも、これだけ声を掛けられて幸せと思う」。171日ぶりの先発マスクは存分に楽しんだ。8回は石井一、9回は高津。黄金期を一緒に支えた戦友とバッテリーを組んだ。バットから快音はなかったが、8回2死一塁の最終打席では、同じく今季限りで引退する佐々岡と対戦し「最後にいい相手とできた」。遊ゴロのフィナーレでも充実感がこみあげた。 巧みなインサイドワークで「ID野球の申し子」と称賛され、大学、社会人経由では史上初の2000安打も達成。日本一も4度経験するなど、常に日の当たる道を歩んできた。しかし、兼任監督の2年間はジレンマとの闘いだった。昨年右肩痛が悪化すると、今季も状態が上向くことはなかった。就任時に球団から約束された補強面も大きな協力を得られなかった。自身の出場と後継者の育成。シーズン中は2つの難題の間で苦悩した。 それでも兼任監督だからこその喜びもあった。06年5月2日・広島戦(神宮)でサヨナラ打を放つと、石井一、宮本らが「監督賞」ならぬ「選手賞」を贈ってくれた。普段は出すばかりの金一封。「今でも飾っていますよ」。クラブハウスの監督室に今でも宝物としてご祝儀袋が大切に保管されている |
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古田復帰約束「また会いましょう」 <ヤクルト3−6広島>◇7日◇神宮 (日刊スポーツ) 「また会いましょう」。ヤクルト古田敦也兼任監督(42)が7日、神宮の夜空を舞い、ファンに復帰を約束して球場を去った。今季の神宮最終戦となった広島戦に「5番・捕手」で4月19日横浜戦以来、今季3度目の先発出場。4打数無安打も最後までマスクをかぶり、両親や夫人、3万3027人のファンに最後の勇姿をみせた。 引退試合後、セレモニーで感謝の言葉を述べ、再会を約束。ナインの手でホームベース上で胴上げされた。 目はもう潤んでいた。石川、木田、石井一…まな弟子たちのリレーの最後、9回を締めた高津に背中をたたかれると、古田監督はもうこらえきれなかった。「高津が余計なことをするからドキっとした。泣かずに終わろうと思ってたんだけど、真中が先に泣いてた…」。ベンチに戻って腰かけると、万感の思いが涙をあふれさせた。 退場した4月19日横浜戦以来の先発マスクを最後までかぶった。2回の第1打席。右飛で走者を進めるチーム打撃でスタンドを沸かせる。8回には、広島ベンチの計らいで佐々岡が登場。6日に引退試合を終えていた18年目の入団同期と、最後の打席で対戦した。「一生懸命投げるんで打ってくださいと言われたけど、打てなかった。最後にいい投手とできた。一生忘れない」。遊ゴロに倒れたが、対戦後、佐々岡に花束を渡した。 神宮球場のスタンドは、緑に染まった。監督就任時から、夢に見た光景が目の前に広がった。「球場を好きな色で染めたい」。引退試合で唯一、球団にリクエストした。今季最多3万3027人。立ち見まで出た大観衆は、打席に入る古田に、入場時に配られた緑色のボードを一斉に掲げた。敵チームのファンが半分以上を占めることも多い神宮で、求めていた一体感。最後の最後に実現でき、何度も目に焼き付けた。 引退セレモニーでは時折、声を詰まらせながら「ありがとう」の言葉を8度繰り返した。「何度も心が折れそうになったり、弱気になったこともあったけど、皆さんの声に支えられました」。試合に敗れ、チームは最下位に転落。残り2戦を勝たないと5位に浮上できない。初回には2盗塁され、二塁送球はいずれもワンバウンド。全盛期の面影はなかった。誰にも言えない肩の痛み、チームの低迷…。それでも声援を力に変え、何度も立ち上がることができた。 ファンに支えられた18年。神宮にも愛された守り神を、もう見ることはできなくなる。打って守れる捕手、初のストライキを決行した選手会長、そして29年ぶりの兼任監督。チームの、球界のトップに立って走り続けた革命児は、最後にこう述べた。「18年間、本当にありがとうごまいました。また、また会いましょう」。ファンに誓い、笑顔で神宮の夜空を5度舞った。古田敦也は、きっと帰ってくる。【柴田猛夫】 [2007年10月8日9時14分 紙面から] |
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■One more・・・・・ 10月9日(火) 横浜スタジアム |
実は休み明け火曜日、仕事を早めに切り上げて向かったのはヤクルトスワローズの今年の最終公式戦がおこなわれる横浜スタジアム。 ひょっとしたら、古田選手の現役最後の打席があるのではないかとの思いからです。 球場に集まったファンの期待に応えて9回の表に代打で登場、吉見投手からヒットを放ち、現役最後の打席をヒットで締めくくりました。 千葉県民が仕事帰りに横浜に立ち寄るのはきつかったですが、行ってよかったー 最後になりますが、本当にお疲れ様でした。なかなか監督業に徹するのが難しく結果として低迷の要因になってしまいましたが次は厳しい指導者として戻ってきてくださいね! |
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