
(ヤクルトスワローズ 2001年 セリーグ制覇を生で見たくて・・・・・・・)
私が、大学2年生の97年に日本一になったヤクルトスワローズはそれから三年間野村監督から若松監督に変わるもBクラスに三年連続で終わってしまい。2001年のシーズンも川崎がFAで中日に移籍して、伊藤智も怪我でシーズン絶望という状態で今年も駄目だと関西に転勤に行った私だが.....

優勝決定試合でペタジーニの起死回生同点3ランが
炸裂した瞬間のヤクルトファンの大歓声
エピソード1 10月2日 甲子園
まさかマジック1の状態でヤクルトスワローズが関西にやってくるなんて〜この日は仕事も半分手につかない状態だった。思えばスワローズが転勤した今年に限って好調なんて自分は運が悪いんだろうと嘆くこと数回。そんな僕に神様が微笑んでくれたのか?なんとこの日、甲子園で胴上げがあるかもしれないという状態になったのであった。しかも相手はお得意さまのタイガース。ただ問題がひとつあった、仕事をどうするかである。
さあ、6時を過ぎた。僕は机に向かいながらも携帯電話の端末で試合速報をチェックし続けた、すると1−0でヤクルトリード!ドキドキしてきた。優勝が本当に決まるのか?こうなってくると会社をどう抜け出そうかそればかりを考え始めた。
今日は、終わるのが遅い、20時を過ぎてもうちの課は終わる雰囲気が見えない。しかも試合は8回。もうやるしかない、僕は課長の前に行き言った。「ヤクルトの胴上げが見たいのであがっていいですか?」一瞬、課長は驚き、あきれ返った顔で「ヤクルトの優勝が見たいから上がらせてくれ?お前みたいなやつは初めてだ!」と言われた。しかし「もう、行け!」もう仕事のことは考えずに会社を飛び出た。会社から電車で甲子園に比較的近い駅まで行き、そこからタクシーで甲子園に向かった。タクシー内では運転手にラジオを試合にあわせてもらったが、なんと同点1−1。延長戦で決めてくれるだろうと思って甲子園に入り込む。(ちなみにこのときに男の約束を交わしたのだが、後日出来ず、すざましく怒られた。)
甲子園に入るとさすがに優勝決定試合だけに特にレフトスタンド(ヤクルト応援席)は珍しくヤクルトファンで埋まっていたし、応援団も岡田団長をはじめとして東京からもたくさん来ているのが分かった。とりあえず席がなかったのでたって応援することになる。
試合は延長に突入。ヤクルトはランナーを出すもそこからが駄目で、12回の表に稲葉があわやホームランというフライを打球を打ち上げて今日の優勝は消滅。あげくに裏の守りでは五十嵐が打ち込まれて見事にさよなら負け。10時半まで立って応援した僕に残ったのは疲労感だけだった〜
エピソード2 10月3日、4日 神宮
甲子園で優勝を逃したヤクルトは神宮球場に移動して阪神戦。いくらなんでもこれで決まるだろうと、関西でテレビを見ながら観戦していたらなんと初日は完敗。二日目もペタジーニがホームランを打つも阪神の”類を見ない粘り”にとうとう同点に終わり、優勝は持ち越しになった。だが、それは僕にとってヤクルト優勝が目の前で見るためのシナリオにつながっていたのである。
*後日考えてみると、あのときの阪神タイガースの粘りは野村監督の執念に他ならなかったのかなと今になって考えると思います。
エピソード3 10月5日
5日は金曜日で明日からは三連休で休みになる。僕は実家がある関東に帰るか迷っていた。しかも明日からは横浜で横浜戦がある。心は揺れ動いた、しかし横浜スタジアムに電話を入れたらなんとチケットがあるとのこと。夜行バスの予約を取り、仕事が終わるとともに関東にとんぼ返りするのだった。横浜では4連戦が予定されているので、M1なら僕が見ることが出来る3試合のうち1つでも勝てばいいんだから、そう思っていました。
エピソード4 10月6日 横浜
早朝にバスで東京に戻り、そこから関内駅まで向かい横浜スタジアムに朝の7時につく。スタジアムにはすでにたくさんのファンが詰め掛けていたが警備員の人に聞いたらまだ大丈夫だとの事。開門になるまで近所の中華街に繰り出してご飯などを食べて試合に備える。すると球場に戻ってくる途中で裏口からヤクルトの選手が球場入りしているところに見事に出くわした。「頑張れ!」と葉っぱをかけといた。 
さあ、2時になるとやっと試合が始まった。試合は1回満身創痍の古田が執念のタイムリーでリードをするものの1回、2回と山辺が見事に打ち込まれて1−4。たまたま呼んどいた会社の同僚がアンチヤクルトで横浜がリードをしているのを喜んでいるのが寝不足でいらいらしている俺に怒りを増幅させていた。試合はそれからこう着状態になり。7回終わって点差変わらず、また今日もかとあきらめたその時......8回の表ペタジーニの起死回生の3ランがライトスタンドを直撃!そのときのヤクルト応援席の喜びようがTOPの写真である。横浜スタジアムでは日ごろは傘での応援は禁止となっているが、興行を意識してか、この4連戦のみ解禁となっていたのである。ペタのホームランの後はヤクルトスワローズのペースとなり、延長の10回、なんと相手のパスボールでヤクルトは見事に勝ち越し!
その裏、守護神”高津”が完璧に閉めてセントラルリーグ21世紀最初の優勝チームにヤクルトスワローズが輝いたのである。
今回、古田選手が泣いていたらしいが、90年代4回のリーグ優勝を果たしたチームであっても苦しみぬいた優勝はうれしかったと思うし、個人的に追っかけてきて優勝が見れた僕も喜び一塩だった。ちなみに監督インタビューで「ファンの皆さん、優勝おめでとうございます!」がここまではやるとは、スタンドにいた僕でも予想できなった。(笑)僕は過去に4回(ヤクルト3回、横浜1回)の胴上げを見てきましたが、この横浜での若松監督の胴上げが泣けましたよ。
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