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さようなら ツバメ軍団応援団長 岡田さん 岡田正泰さん・・・・・1931年(昭和6年)4月8日、東京生まれ。高校中退後、証券会社に勤務。その後父親のあとを継ぎ、看板製作会社「オカダ工芸」の社長に。20歳のころからヤクルトの前身、国鉄スワローズの私設応援団に入り、神宮の名物おじさんとなった。 関連ページ古田選手現役引退試合 観戦記 たまたま見ていたスポーツ新聞を読んで仰天した。 「ヤクルトファン一筋50年で私設応援団「ツバメ軍団」応援団長、岡田正泰さんが30日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。71歳。傘を振りかざしながら東京音頭を歌うユニークな応援スタイルの発案者で、ファンなら知らない人はいない名物おじさん。今季も連覇を祈って応援を続けていた。」(日刊スポーツより) ヤクルトスワローズといえば、はっきり言って地味な球団ですが、その中でも有名な人は誰かといったらたぶん古田選手について出てくる方ではないでしょうか?逆にプロ野球12球団の中でも彼ほど存在感があった応援団長はいなかったでしょう。 僕が初めて岡田さんを見たのは今から9年前(高校2年生のとき)の神宮球場でおこなわれたヤクルト対中日です。そのとき生まれて初めて外野席に行ったのですが、八回の攻撃から突如岡田さんが現れるとそれまではおとなしめだったライトスタンドがすざましい勢いで応援を始めるのです。いやでも顔を覚えさせられました。 それからというもの、大学時代には結構球場に足を運びましたが、神宮球場の試合にはどんなくそ試合でも絶対岡田さんは八回になると現れていました。あの時はいるのが当たり前みたいな感じでしたが。(もういないんですね〜) 直接僕は話したことはないですが、岡田さんには何回か声をかけていただいたことはあります。逆に言えば平日の神宮の外野はそれだけ人がすくなったんですが。逆にそのアットホームな雰囲気がよくもありました。 ヤクルトの私設応援団も当然負けがこんでくると暴れたりなど結構血の気が激しい人間が多いのですが、岡田さんだけは違いました。大差の時に出てきて時も笑顔で「今日はもう負け、明日!明日!」とあっさり言っていました。岡田さんはヤクルト黄金時代よりも最下位をつねにキープしていた時代を生き抜いてきただけになんか達観しているところがありました。ひょっとしたら90年代の常勝時代よりも80年代の方が岡田さんにとっては楽しかったのかもしれません。 ちなみに傘を応援に用いる応援には次のようなエピソードがあったようです。 阪神に六甲おろしがあるように、ヤクルトといえば東京音頭というイメージを作った岡田さんのヤクルト球団への貢献度ははっきり言って金銭ではいえないくらいの価値があったのでないでしょうか?なんか球団として表彰でもすればと思います。なお告別式では東京音頭が応援団によって鳴らされていました。岡田さんにとっての最大の成仏になったのではないでしょうか。 僕は、2002年5月の神宮球場での試合観戦が岡田さんとの最後対面でしたが、ゆっくり眠っていただきたいと思います。
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