淳也のホームページ(トップ)鉄道旅行コーナー(トップページへ)海外旅行コーナー(トップ)

卒業旅行2000年(ヨーロッパ・アジア)

(ヨーロッパ周遊記 2000年)

■はじめに

大学時代の最後の記念に向かったのがヨーロッパでした。パリ→ブリュッセル→マドリード→グラダナ→コルトバ→バルセロナ→ニース→ニース・モナコ→ローマ→ナポリ→ボンペイ→ブリンシディ→パトラス→アテネ→イスタンブール→ドバイ→クアラルンプール→マラッカ→シンガポールと怒涛の勢いで周りました。気がつけば三十路を過ぎましたが、今でもいい思い出の旅行です。

※【関連ページ】 7年ぶりのヨーロッパ 2007年パリ・リスボン・マドリッド周遊旅行



旅行行程
日程 宿泊地 メイン メモ
2月7日(月)
一日目
マレーシア航空
機内泊

移動日

マレーシア経由
いよいよ一ヶ月にわたる卒業旅行がスタートしました。ちなみにマレーシア航空を今回は使用しました。約70000円程度の航空券です。往路は成田→コタキナバル→クアラルンプール→パリと南回り二回乗り継ぎとJALの直行便の二倍の時間をかけてパリまで目指します。機内食を合計4回食べることが出来てお得感がありますが、さすがに僕でもちょっと辛かったかな。

ただしKL国際空港はリニューアルされて日も経っておらずとてもきれいな空港でした。KLからパリまでの飛行機は窓側になってしまいました。深夜便でとなりの西洋人の兄ちゃんがバクスイしてしまいトイレにいけずに本当に参った。ただインド上空などを通過したときに街の灯が確認できてなぜか感動しました。
2月8日(火)
二日目
パリYH泊

YH=
ユースホステル
フランス
(パリ)
 早速パリ観光をYHでたまたま知り合った日本人の女の子とすることになりました。(ちょっと、ラッキー)それにしてもパリジャンヌはみんなモデルみたいです。初日はとにかくエッフェル塔に登ったりしてべたなパリ物見見物を満喫しました。

朝食で食べたフランスパンが本当においしかった・・・・
2月9日(水)
三日目
 引き続きルーブル美術館など写真やテレビで見たモナリザなどを実際見て感動していました。

 ですがべたな観光ポイントより、個人的に気に入ったのは地下鉄の中でアコーディオンを弾いていたストリートミュージシャン10フランつい出してしまいました。
2月10日(木)
四日目
ベルギー
(ブリュッセル)
 パリからブリュッセルまでただ単に国際特急タリスに乗りたいたがために半日観光をしに行きました。ブリュッセルはすざましく冷えていてしかも雨。ムール貝を食べたかったけどちょっと高いのであきらめて喫茶店でワッフルを食べましたが、とてもおいしかったです。それにしても道端の「うんこ」を踏んでしまうは、正直あんまりいいことがなかったベルギーでの半日でした。

タリスで帰る道中、日本語を必死に勉強しているベルギー人の会話相手をずっとする羽目になりました。
2月11日(金)
五日目
夜行列車泊 移動日  パリ→イルン→マドリッドとTGVというフランスの新幹線などを使っていよいよスペインに陸路で移動です。途中乗り継ぎの都合上イルンという街で4時間くらいいました。飛び込んでみたバーのスタイル抜群の女性にスペイン語を教えてもらっていました。それにしてもスペイン女性はセクシーです。

それにしても、どこにいっても日本人がいる。これには驚いた。
2月12日(土)
六日目
マドリッドYH泊 スペイン
(マドリッド)
 ソフィア芸術センターでゲルニカを初めてなまで見てこんなすごいのかと感動。夜はレアルマドリッドの試合を見ることが出来ました。
2月13日(日)
七日目
 やっぱり郷に入ったら郷に従えでスペインではしっかりシエスタ(お昼ね)をしっかりとって観光しました。ちなみに二日連続でゲルニカを見に行ったりしてかなりダラダラしてマドリッドの一日を満喫しました。日本も導入してくれないかなー

あとゲルニカはタダで見ることが出来たのも大きかったですね。(笑)
2月14日(月)
八日目
グラダナYH スペイン
(コルトバ)
 早朝マドリッドからスペインの新幹線でAVEで南下して行ってコルトバという街に行きました。ここではユダヤ人街を見学。お昼にはヨーロッパで初めてパエリアに挑戦。

しかしチップの払い方が分からずあせっていたら、たまたま近くに座っていた日本人親子(母・娘)に教えてもらいなんとか恥をかかなくてすみました。

 夕方にはバスでグラナダまで移動しました。ところどころで見えるお城がまさにスペインだなと感心。夜はフラメンコを見学。
2月15日(火)
九日目
夜行列車泊 スペイン
(グラダナ)
 グラダナといえばアルハンブラ宮殿につきますが、まずここに行きました。すると昨日コルトバで出会った日本人親子とまた出会ってしまい彼らと行動を共にすることになりました。旅は道連れですね。

 晩御飯を駅の近くのレストランで食べましたが、こじきが追い出されていました。
 
 さて、今日から夜行列車3連泊です。ちょっと不安ですが、頑張ってみますか!

2月16日(水)
十日目
夜行列車泊 スペイン
(バルセロナ)

 バルセロナには早朝つきました。マドリッドに比べると垢抜けている感じがしました。さて、早速アントニオ・ガウディの未完成の傑作サグラダ・ファミリアを見に行きました。完成するのには後200年というちんたらしたペースで工事は進んでいます。(というか時間を稼いでいるのではないか?)と勘繰りたくなりますが。中もすざましく広く迷路のようでした。

 道端に女の子二人が音楽演奏をしていました。なかなかうまかったので多少チップを出していいかなと思いましたが、なかなか勇気が出なくて何回もそこを往復してしまいました。ようやくいくらばかりのお金をバイオリンケースに入れたら女の子も俺の挙動不審な行為を笑い始めて僕も笑うしかなかったです。
2月17日(木)
十一日目
夜行列車泊 フランス
(ニース)
 さすがに二日間シャワーにも無関係な生活をしていたので、ニースの駅に備えてあるシャワーを借りてすっきりして街に繰り出しました。さっそくニースということで海岸に繰り出してみると二月だというのに上半身裸の女性はいるし仰天!俺はコートを着て動いているというのに。

実はここで持参したカメラを見事に壊しました。トラブル発生です。

2月18日(金)
十二日目
ローマYH泊 イタリア
(ローマ)
本当は今日中にナポリに行こうと思ったのがイタリア国鉄のストライキで不可能に。しょうがなく先にローマをみてまわることになりました。写真はバチカン王国。というか日本にある東京ディズニーランドの方が明らかに大きいと思わせるくらい独立国でありながら小さかったです。

ローマではピザの切り売りを買ってコーラと一緒に食べましたが、本当においしかったです。

それにしてもローマは本当にすりが多いようですね。会った日本人ほとんどが被害にあったか未遂にあったような状況でした。
2月19日(土)
十三日目
 右のASローマのチケットを手に入れるために半日以上を費やしました。最後はダフ屋に引きずられながらチケットを入手。

 しかし、中田選手のゴールを見れたこともあり大満足の一日でした。


 詳しくは以前書いたレポートがあるのでそちらをどうぞ
2月20日(日)
十四日目
ナポリYH泊 イタリア
(ナポリ)
(アマルフィ)
 ほとんどの人たちはローマから北の方に観光に行きますが、僕はひねくれているので南に行きました。で、向かったのがナポリ。基本的に坂ばかりの街なので歩いている本当に疲れます。

 ちなみにYHであった女の子によると本当にナポリの男性はナンパがすごいらしいです。

 まあ向こうの人達はナンパしないと女性に失礼だみたいな発想らしいです。

駅前のケーキ屋さんはおいしいですよ。
2月21日(月)
十五日目





 日本人にはあまり知られていない有名な避暑地アマルフィー海岸。僕はこれをTravellerという雑誌でたまたま読んで、是非行ってみたいと思っていました。ちなみにアクセスとしてはナポリから鉄道で一時間10分にバスで一時間半というとんでもない辺鄙なところでしたが、海岸線の美しさは息を呑むほどでした。(ただカーブが多すぎてゲボリそうになったのも事実ですが。)


 
2月22日(火)
十六日目
ローマ泊  ギリシャに行くために夕方にローマに戻りましたが、なんと前回使ったYHは満室。そこで一緒にはじき出された同じく卒業旅行に来ていた兄ちゃんとローマ駅前の安宿をシェーアーして泊まりました。

  ここら辺から宿についてもいい加減になってきます。 
2月23日(水)
十七日目
ブリンシディ泊 イタリア
(ローマ)
 午前中はトレビィの泉をみたりしてぶらぶらしてました。

 昼からはいよいよギリシャに船で渡るために出発地であるブリンシディに向かいました。しかしなんと船はもう行ってしまったとのこと。事前に調べたのと違うじゃないかとうちひしがれたいたら、たまたまカウンターにいたドイツ人の二人組みに宿をシェーアーしないか?と提案されました。もちろんOKしてなんとか助かりました。
2月24日(木)
十八日目
船のデッキで
素泊まり
移動日  夕方の出航まではっきりいってブリンシディではすることもなく本当にひまでした。ただNATOの基地が近くにあるのかよく戦闘機がユーゴスラビア(?)に向かって出撃していくのがよく見えました。
2月25日(金)
十九日目
アテネYH泊 ギリシャ
(アテネ)
 チュニジアから聖地メッカに向けて同じ船に乗り込んだチュニジア人軍団の朝の礼拝でたたき起こされました。

 パトラスからアテネまでは4時間強の列車の旅です。道中では、ギリシャ人の兄ちゃんがドイツやアメリカの批判を散々僕に対してしてきました。そんなこと言われてもしらねーよ。俺はそんなおっさんよりセクシーなおねえちゃんとしゃべりたかったよ。
2月26日(土)
二十日目
 アテネのアクロポリスより夕方見たスニオン岬の夕日が本当に素晴らしかった。本当に素晴らしいものを見るとき感じるのは誰かと一緒に来たら素晴らしさを分かちあえない一人旅のさみしさです。

 晩御飯を食べていたら物乞いの子供が。彼はアルバニア難民だという。国際情勢を目の当たりにしました。
スニオン岬 その1
スニオン岬 その2
2月27日(日)
二十一日目
イスタンブール泊
アヤソフィア
ホテル
トルコ
(イスタンブール)
 前日、旅行代理店で押さえたチケットでいよいよトルコに突入です。沢木耕太郎がはまったサバサンドもすぐに見つけて満喫しました、食べて分かったことはサバがおいしいのではなく、パンがおいしいということです。

 もう一ついい思い出がありましたが、それは心の中に入れておきます。
2月28日(月)
二十二日目
 ボスポラス海峡を目指してクルーズに参加。しかし風が冷たくきつい。帰りの船が来るまで時間が大きく開いてしまい、桟橋でトルコ人のガキどもの遊び相手になる。途中からこじきのおっさんにも絡まれたが。
2月29日(火)
二十三日目
 この日あったことで一番大きかったのは犬にかまれたことです。おかげで現地の病院に行っただけではなく帰国してからも四回狂犬病のワクチンを打つハメになってしまいました。

 左の写真は現地の公衆浴場ハマムで撮ったときのものです。
3月1日(水)
二十四日目
マレーシア航空
機内泊
移動日

UAE経由
 いよいよ三週間強に及んだヨーロッパ横断も終わりを告げようとしてます。帰りはマレーシア航空でイスタンブールから中東のドバイ経由でクアラルンプールにめがけて飛んでいきます。気候も東南アジアに突入するため一気にTシャツ一枚の世界になります。しかし、見事にそれによって体調を壊してしまいます。
3月2日(木)
二十五日目
マラッカ泊 マレーシア
(マラッカ)






クアラルンプール国際空港からクアラルンプールについた頃には体調も疲れなどで相当やられていて下痢のオンパレードでした。そのためマラッカについて友達とせっかく再会したのに調子も悪くゲストハウスで寝込んでしまいました。
3月3日(金)
二十六日目
 昼まで寝込んでいましたが、なんとか調子も戻ってマラッカの友人と楽しい一日を過ごすことが出来ました。ただ相変わらずお腹の調子はイマイチ。
3月4日(土)
二十七日目
シンガポール泊 シンガポール
(シンガポール)
 今日はマラッカからシンガポールまで井垣・富田コンビに会いに行くためバスに乗り込みます。

 しかし、バスがハイウェーイで見事に故障。いつもなら五時間弱で行けるのに八時間近くの長丁場になってしまいました。

 当然体調を壊している僕にとっては相当応えましたが。
3月5日(日)
二十八日目
マレーシア航空
機内泊
マレーシア
(クアラルンプール)
 結局朝三時に寝たためにシンガポールでは三時間くらいしか寝ることが出来ませんでした。おかげでクアラルンプールまでバスの旅はほとんど寝て過ごす事が出来ました。クアラルンプールでは似顔絵を描いてもらったり、占いをしてもらったりと帰国までの残された時間をのんびりして過ごしました。
3月6日(月)
二十九日目
帰国 帰国



 左の写真は新装されたクアラルンプール国際空港です。今回はずいぶんお世話になりました。やっぱり帰国してから二日くらいは旅の余韻で動けなくなってしまいました。

 今、社会人になってこんな旅行をする時間も精神的な余裕もありませんが、だからこそ今こうやって懐かしんでしまうかもしれないです。


 国旗のイラストは外務省のホームページから引用しています。

マレーシア航空のイメージ画像はマレーシア航空のHPから引用しています。




ご意見・ご感想は

cool_junya@hotmail.com

までお願いします。