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マレーシア・マラッカ旅行記 2005年5月

6年ぶりに帰ってきました。


はじめに
ゴールデンウィークは大学時代の最後にヨーロッパに行った際に立ち寄って以来、約5年ぶりとなる東南アジア(マレーシア、シンガポール)に足を運んできました。

最初の2日間はあまりの暑さと重いバックを背負いながらの移動の疲れから、へろへろで「なんで日本でのんびりせずに、こんな苦行を選んだ俺なんてバカなの〜」みたいなことさえ考えてしまいましたが、だんだん日が経つにつれてこぼれる汗もなんか心地よくなってきて旅行が終わった感じです。

■その1 今回の移動とルート

今回はシンガポール→マラッカ→クアラルンプール→シンガポールとまわってきたんですが、ずいぶんいろいろな手段を使ってみました。

それらについては左の図にまとめた通りです。トータルで700KMくらいの移動になったかと思います〜そんなわけで移動も旅の一部ということでどんな移動をしたかを書いてみます。

■その2 使った交通手段
シンガポールからマレーシアを抜ける際に使ったのが、この高速バスです。ただし実はこの日からシンガポール、マレーシアはメーデーが絡んで3連休になっていました。

そのため観光客が大移動をしており、どこに行くバスも大混雑してマラッカで会った日本人の方もシンガポールから移動するのにかなりひどい目にあったようですね。

ちなみに左側の写真がシンガポールとマレーシアを隔てるコーズウェーイを渡ろうとしているところです。
運良くメーデーの混雑を逃れていた私ですが、そうはうまくはいかずマラッカからKLに移動しようとした際に、高速バスターミナルでKL行きの当日行きのバスがすべてバス会社でsold outになっていたことを知らされました。

そこでどうしたもんか考えたんですが、KLまで120キロほどあるんですが、ここは物価の安いマレーシア、タクシーをシェアーすればそこそこ安くなるだろうと踏んで1000円弱でKLまでタクシーで移動することが出来ました。
最後に使ったのがマレー鉄道です。こちらについても実は寝台特急を使って移動を考えていたんですが、メーデーによる大移動で満席になっていたために翌日の第一列車を使うことになりました。

それにしても鉄道はトロイ〜マレーシアでバスが勢力を伸ばす理由がよく分かります。



■その3 Kancil Guest House

ここに来たら必ず泊まるのがKancil Guest Houseといういわゆる欧米人などのバックパッカーなどがよく利用するゲストハウスです。ここを訪れることは今回僕の旅行の大きな目標になっていました。

さすがに久しぶりで土地勘も狂って迷ってしまったんですが、なんとか見つけ出してこのゲストハウスのMasterであるMr Daudに5年ぶりに会うことが出来ました。(なんかウルルン滞在記みたいですが)

正直忘れているなと思ったんでメールでアポイントを取らずに飛び込みで行ったんですが、会うなり手を握ってきて「元気か?」みたいなことを行ってくれた気がします。「覚えていてくれた?」と聞くと「もちろん、前回トルコからここに立ち寄ってくれたよな」としっかり覚えていてくれて、滅茶苦茶嬉しかったし、なんか「あのときの自分」に戻れたような気がしました。

ちなみに彼とは最後ある一つの約束をしました。中身は秘密ですが、これを次回果たしたいと思います。(もちろん、麻薬を密輸してくれとかそういう話ではありませんから・・・・)




マラッカで是非触れておかねばならない方がいらっしゃいます。私の掲示板でもたびたび書き込みをいただいておりますTony氏です。実は私が2002年にホームページをはじめて間もない頃マラッカに関する旅行記を書いてサイトに上げていたところちょっとした契機で知り合いました。

Tony氏はマラッカ在住の方で、現在はこちらの素晴らしいサイトを構えております。こちらのマラッカに関する情報量はもはや日本一(世界一?)でしょう。地球の歩き方など話にもなりません。
(Tony氏に関してはあまりご自身のことは不詳を希望されておりますので、ここでは詳しく書きません)

さてマラッカに行くからにはTony氏に当然挨拶しなければということで、マラッカで連絡先を教えていただき何とかお会いすることが出来ました。

(Tony氏から酒税が高いマレーシアという土地柄焼酎を持ってきてくれといわれていたんですが、調達が出来ずに結局日本の和菓子を買っていたんですが、これは結局Tony氏の現地の知り合いの方々がつついていただいたようで、好評だったとか・・・)

その後はさすが現地に完全になじまれているだけに顔見知りの方が多いらしく私も何人もの方とご挨拶させていただきました〜。(ちょっと東南アジアの暑さにバテ気味で元気がなかったかもしれませんが許してください・・・・)ちなみに写真は中央に酔っ払った私(恥ずかしい・・・・・・)を挟んでこちらのお店に来ていたtonyさんのお知り合いのご家族と撮ったものです。

一通り食事をした後は、これまたTony氏のサイトがきっかけでマラッカに訪れていたOgawaさんと3人で週末に開かれているナイトマーケットに行かせていただきました。ogawaさんも実は日本に帰ってから拝見させていただきましたが、これまた数多くの海外旅行記を掲載されている老舗サイトをお持ちになっています。

こちらでもナイトマーケットの面白さとともにTony氏のマラッカにおける顔の広さを感じ、「オレってすごい人と知り合いだったんだなー」とビックリしました。なおナイトマーケットの様子はogawaさんのサイトのこちらのページで完璧に出ております。(すごすぎ)

本当にTonyさん、Ogawaさん、ありがとうございました。
右の写真はゲストハウスの中庭です。ここは日陰になっていて昼間の暑い時間など欧米人がくつろいでいるんですが、あるとき日本人の兄ちゃんが英語のペーパーブックを読んでいました。

せっかくなんでと言うことで話してみると今年の4月に入社した社会人1年目で何でもちょっと前に卒業旅行を済ませた身分でありながら、旅行の味が忘れられないと考え、直前にシンガポールの往復チケットを正規割引運賃の19万円で初任給を投げ捨ててやってきたと自分で言っていました。ちなみに僕のチケットは7.2万円なので2倍以上のも開きが・・・・

彼には「社会人になって旅行とかされているんですか?」とかいろいろ聞かれたんですが、彼に言ったこととして「仕事も旅行と同じくらい奥が深くて面白いかもよ〜」、「社会人になると時間を金で買うという感覚が分かるよ〜」みたいなえらそうなことを言った気がします。次回はマラッカで出会った日本人の方について書かせてもらいます。

おまけ マラッカ写真集
マレーシア・マラッカで撮った一枚です。最初は丘から見ていたんですが、完全な夕日が建築物などで妨げられそうだったので、あわてて海側に向かって行きました。
結局埋立地の増加で完全な水平線をバックに夕日を撮ることが出来ませんでしたが、日本ではなかなか拝むことが出来ない夕日を見ることが出来た気がします。テレビドラマ「深夜特急」でテーマ曲になった井上陽水の曲を用意すべきでした。
マラッカの街をのんびりクルーズするツアーがあり、コースの途中にボロ屋を横切りますが、そこに住んでいるおばあさんが顔を船を見ている姿を「ミロのビーナス」と茶化すなどガイドさんのトークはかなり磨きがかかって面白いです。極めつけは「さよなら」を全63ヶ国語で言ってのけるところです。
なお写真はくルーズが始まる前に子供が操縦席ではしゃいでいたところです。

※追加記事 マラッカが世界遺産に

日本では平泉が選考からもれて話題になった世界遺産。
観光地の泊付けに使いたいのか目的がよくわかりませんが、今回実はマレーシアのペナン島のジョージタウン及びマラッカが世界遺産に選ばれていました。

特にマラッカは大学時代からこじんまりした街の雰囲気に魅了されて何度かいった思い入れのある街だけに本当に「おめでとう」を伝えたいです。

これで若干交通アクセスが悪かったマラッカも観光客とか増えるのかな?



マラッカ観光の中心部



定番のマラッカ海峡

(ご参考)
選考理由はユネスコのホームページに以下のように出ていました。

Melaka and George Town, historic cities of the Straits of Malacca (Malaysia) have developed over 500 years of trading and cultural exchanges between East and West in the Straits of Malacca. The influences of Asia and Europe have endowed the towns with a specific multicultural heritage that is both tangible and intangible. With its government buildings, churches, squares and fortifications, Melaka demonstrates the early stages of this history originating in the 15th-century Malay sultanate and the Portuguese and Dutch periods beginning in the early 16th century. Featuring residential and commercial buildings, George Town represents the British era from the end of the 18th century. The two towns constitute a unique architectural and cultural townscape without parallel anywhere in East and Southeast Asia.




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